「死んでよ」と包丁で切られた子の壮絶な人生 小学生の自分に虐待した母と和解するまで

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それを機に虐待がエスカレートしていったという。

お腹を踏みつけられる、麺打ち棒で頭をぶたれる、竹刀でのどを突かれる、手の甲にタバコを押しつけられる……といった暴力。暴言もひどく「おまえなんかいらなかった、死んでよ」「あっちへ行け、気持ち悪い」「お前の醜い顔を見るとうんざりする」などなど。

たいじさんの腕の裏側には傷痕がある。小学校6年のとき、母親に刺身包丁で切りつけられ、とっさに腕で頭をかばった傷だ。血だらけで登校すると、保健室からすぐ病院に運ばれた。5針縫合するほどのケガだった。

「教師にその傷はどうしたか聞かれ、ブリキで遊んでいたら切った、と言ったんです。そしたら教師は、“じゃあ学校は関係ないから、保険は下りない”と。虐待を見て見ぬふりをしたんです。もう誰も助けてくれないって、世界に対する絶望感がすごかった……」

中学生になると、たいじさんにはマンションのベランダの物置があてがわれた。雨漏りし、夏は暑く冬は寒い。いつの間にか発症していたアトピー性皮膚炎は悪化し、学校では「汚い!」とののしられ家でも母親にののしられ、四面楚歌。

朦朧(もうろう)とした日々の中、同級生の些細なひと言にキレてしまい高校を退学に。そのころたいじさんは「心因反応」という心の病気にかかっていた。医師の診断もあったのに母親はそれを「嘘つき」呼ばわり。「このままでは心が壊されてしまう」と感じたたいじさんは17歳のときに、家を出た。

「死ぬのを待っているような日々でした」というそのころ。しかし、たいじさんはそこから自分を立ち直らせる。危篤だった“ばあちゃん”に再会したことがきっかけだった。

母と対峙することを決意

「偶然、元工場で働いていた人に会って、ばあちゃんが危篤だと知りました。それでばあちゃんに会いに行って僕はばあちゃんに笑ってほしい一心でいろんな話をしました。

“いま僕は豚の工場で働いていていつも豚ばっか見てるよ、豚が豚見てるって笑っちゃうよね”とか、太っている自分を豚にたとえて自虐的な話をしたように思います。そのとき、ばあちゃんはクスリとも笑わずに僕の目を見て言ったんです。

“ばあちゃん、たいちゃんにお願いがあるの。僕は豚じゃないって言って”と」

幼いころから虐待を受けていたたいじさんは自分を否定する癖がついていた。たったの8文字がなかなか言えなかった。やっとの思いで吐き出すように言えたたいじさんの目からは涙がこぼれて止まらなくなっていた。

「その日から、未来を考えるようになりました」

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