低迷招いた三越、「空白」の10年 経営統合にかけた起死回生策
三越と伊勢丹が来年4月の経営統合で合意。ついに三越は単独での改革に白旗を揚げた。統合の成否は、長い歴史の中で染みついた同社の意識改革にかかっている。(『週刊東洋経済』9月8日号より)
「2年前から実施してきた改革は、会社全体の成果に至っていない。スピードも合格点とは言えない」。8月23日の会見で三越の石塚邦雄社長は、単独での改革を断念し、統合に至った理由をこう語った。
机上の戦略--。実は、いくら手を尽くしても成果の出ない石塚社長の戦略に、社内外からはそんな評価が上がっていた。
その典型が粗利率向上を狙って踏み切ったセール中止。ある百貨店幹部はこう打ち明ける。「百貨店としては確かに正論でしょう。でも、それで大丈夫だろうかとも思った。もっと時間をかけてやるべきではないのか、と」。三越を支えるのは、年間に数百万円もの買い物をする富裕層顧客だ。だが、日常的に来店する多くの客が、セールでサイフのひもを緩め、売り上げに貢献することも否定できない。結果、セール分の売り上げをカバーできず、おまけに常連客の足も遠のいてしまった。
他店との差別化を図るため、三越自身で品ぞろえを行う「自主編集売り場」の強化にも取り組むが、これも売れ筋を切らし、うまく運営できなかった。「専門のわれわれでさえ3割バッターですよ。これまで何もしてこなかった百貨店の人に、一朝一夕で商品の目利きができるわけがないでしょう」とアパレル関係者は辛辣だ。
人事や企画畑を歩んできた石塚社長は、緻密な計画を立てることに長けており、「どんな人の話でも細かいことまでよく聞いてメモを取っている」(ファッション関係者)と真摯な態度を評価する向きもある。一方、百貨店の核である店長経験がないために「現場を肌で知らないようだ」(アパレル社員)という声があったのも事実だ。
今の業績低迷をもたらした根は深い。バブル崩壊後、ゴルフ場開発の撤退処理で巨額の損失を出し、財務に大きな傷を負った。そして、後に続く店舗閉鎖に早期退職実施……。リストラを繰り返した過去10年は、歴代社長が残した負の遺産整理とも言い換えられる。
戦後50年間で社長の交代は5回だけ。三越の歴史は長期ワンマン政権とともにあった。会社の私物化で解任に追い込まれたものの、急成長を果たした岡田茂氏(1972~82年在任)、「拡百貨店」を唱え、周辺事業を強化した坂倉芳明氏(86~95年在任、97年まで会長)など、強烈なリーダーシップで、攻めの経営に突き進んできた。
その後、三越はワンマンの弊害を思い知り、集団指導体制を敷く。だが、長い歴史の中で染みついた「受け身」の体質は変わらなかった。ある三越OBは「朝から晩まで役員会をやっても、何一つとして決まらない。そういう体質が三越にはあった」と当時を振り返る。
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