「バブルに狂った男たち」今だから話せる真実 「バブル紳士の用心棒」が内幕を明かす

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国会の証人喚問時などの写真をみると、ふてぶてしい人物のように思える。河合弁護士は「大金を獲得し動かしていることに対する自信が表に出ていたのではないか」と推測するが、その性格は「重いというか。まあ明るい人ではなかった」というから、それが顔に表れていただけなのかもしれない。

高橋氏と対照的に「明るい性格だった」のが秀和の小林茂氏(2011年没)だ。

秀和の社長だった小林茂氏

小林氏は終戦で復員し、しばらく実家の家具屋を手伝った後に独立起業。艀(はしけ)運送の会社の次に立ち上げた秀和は、「秀和レジデンス」などの分譲マンションや芝パークビル(通称「軍艦ビル」)の建設で知られる。バブル本の中では中堅スーパーの忠実屋、いなげやの株買い占めの主役として登場する。

河合弁護士の耳に今も残っているのは「河合さん、これは刑法に触れないか?大丈夫か?」と問いかけてくる小林氏の声だ。今とは違って強引な手法が許されたあの時代においても、小林氏は用心深かった。バブリストの中では珍しく刑事事件で逮捕されずに済んだ。

長女の始めた「ピザーラ」を軽く見ていた小林茂氏

「人心収らんのうまい人だった」という。「社内の人間に灰皿を投げつけるなど身内に厳しいところはあったが情もあった」。バブル崩壊後はほかのバブリスト同様、会社は資産を銀行などに差し押さえられ解体状態になるが、「10人弱の忠臣は最後まで付いていった」そうだ。

なお小林氏の長女は宅配ピザの「ピザーラ」が有名なフォーシーズという会社を夫婦で経営している。河合弁護士によると「小林さんは『不動産業こそ事業の中の事業』であって、一つ売って数百円、数千円というものは商売のうちに入らないと軽く見ていた。だが、娘さんはあれだけの成功を収めたのですごいと思う」と話す。

小林氏同様に「明るい」人物でも、麻布建物の社長だった渡辺喜太郎氏については「ライトな人」と表現する。

麻布建物の社長だった渡辺喜太郎氏

渡辺氏は戦災孤児から丁稚奉公を経て自動車販売会社を設立、不動産でも成功する。最盛期にはハワイの高級ホテルやゴルフ場などを所有した。

現在83歳。バブル紳士の数少ない生き残りであるため取材を打診してみたが、「高齢のため公の場への出席や名前が出ることを最近は控えている」と麻布自動車を通じてコメントがあった。

「不動産でのバブリストだよね。ただ、イ・アイ・イの高橋さんのほうがスケールは大きくて面白い。ポリシーもあまり感じたことがない」。河合弁護士の弁もライトだった。

河合弁護士がほかのバブリストと一線を画していると評価するのが、第一不動産の社長だった佐藤行雄氏(2009年没)だ。「バブルの波に乗ったが、イ・アイ・イの高橋さんと違って事業家としての要素が強い」と考える。

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