常磐線復旧は「移転後の街」を活性化するか 相馬と仙台が鉄道で再びつながった

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運転再開初日に、相馬駅に到着する仙台行きの列車。日常的な利用客の姿が目立った

電車には特に装飾は行われていなかったが、車内放送では運転再開、線路移設についてきちんと触れられていた。7月12日に運転を再開した小高-原ノ町間でもそうであったが、震災からの復旧区間では「地域と共に鉄道を守り育て、復興に役立てる」という姿勢をJR東日本が示している。

被害が比較的少なく、従来の場所のまま復旧した駒ヶ嶺駅は静かだったが、移転区間に入った新地では、日の出前の早朝であったにもかかわらず、一番列車に手を振る人が現れた。坂元では上下の始発の到着に合わせ、駅前で花火も打ち上げられている。

運転再開日は土曜日だったが、試乗客のみならず、さっそく通勤通学や、仙台などへの用務を目的として乗り込んでいた客も目立った。乗りやすい仙台からの上り一番列車(浜吉田発6時04分)が、試乗客中心の客層だったのとは対照的である。

要は、前日までの代行バスの客と同じ層が、運転を再開した列車をさっそく利用していたわけで、いかに復旧が待ち望まれていたのかが理解できた。

イベントの賑わいも大切だろうが、「ふだん使い」の利用客が乗ってこその鉄道である。仙台市とのつながりが強い、山元町や南相馬市を含む福島県浜通り北部を結ぶ足として。また復興への大きな足がかりとして、常磐線は期待されているのである。

新市街地の基盤となる新しい駅

駒ヶ嶺を含む、営業を再開した各駅の現状も見て回った。

代行バスの車中からも何度も目にしていたが、駒ヶ嶺駅前には小規模ながらも新興住宅街が形成され、すでに住民の生活が始まっている。やや海から離れていたり、低いながらも丘陵の間を走っていたため、大きな津波被害を受けずに済んだ区間が、ここから新地の少し南まで続く。

新地駅南方の、新線と旧線の分岐点付近を走る常磐線の列車。沿岸部では災害対策工事がまだ続けられている

新地駅は海沿いの集落とともに、津波の直撃を受けてしまった。停車中の普通列車が巻き込まれ、電車4両が大破したところだ。

駅周辺は新地町の中心部だったが、大きな被害を受けたことから、地盤のかさ上げと、公共施設など町の機能を駅周辺に集約した復興計画が策定され、現在のところ、盛り土はほぼ完成したようだ。これから産業施設や住宅などの建設が行われる。その基盤となるのが新しい新地駅であり、鉄道が担う役割は大きい。

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