「阪急」隆盛の背景は多角化だけでなかった! 社史が描き出す知られざる創業期の大転換点
阪急電鉄は大手民鉄16社の雄であるとともに、日本の現代史において特筆されるビジネスモデルを生み出した企業としても知られる。ご存じのとおり、阪急電鉄は鉄道事業だけでなく、沿線の宅地開発や観光事業、百貨店の経営に乗り出し、各事業が鉄道事業との相乗効果を発揮して発展を遂げてきた。
阪急電鉄の成功を見て、多くの鉄道会社が経営の多角化に乗り出している。その成功例として挙げられるのは五島慶太(1882~1959年)が率いた東京急行電鉄であり、やや形態は異なるが堤康二郎(1889~1964年)が率いた西武鉄道であろう。
小林一三の「変革」が発展の契機に
しかし、阪急電鉄自体、実は多角化経営だけで今日の地位を築いたのではない。同社は1916(大正5)年4月に大きな転換期を迎え、このときに専務取締役の小林一三(1873~1957年)を中心とする経営陣が下した決断によって今日の隆盛を迎えるに至ったのだ。
創業期の阪急電鉄が断行した変革について、阪急電鉄の社史である『京阪神電鉄50年史』(京阪神急行電鉄、1959年。以下『50年史』)、『75年のあゆみ写真編』(阪急電鉄、1982年。以下『写真編』)を参照しながら紹介していきたい。今回の検証はあたかも社史の行間を読むような作業だ。筆者の解釈が間違っている点もお含み置きいただきたい。
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