「ゲームvs本」の時代は終わり、遊んでいるだけで「国語力が上がる」親が知らない付き合い方 子どもに「本を読みなさい」と言う前に渡したい

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「YouTubeのほうが見るのもラクだし、楽しい」
「ゲームなら、友達とも話が通じる」

たしかに、娯楽が多様化した今日、子どもたちに共通の話題があるとすれば、YouTubeを通して得られる情報やゲームの話に限られてくるのでしょう。楽しいうえに、友達との会話の種にもなる娯楽は、子どもたちにとっては“必修科目”なのです。

その一方で、今の子どもたちから見た「本」の存在感は、保護者世代が10代だった20〜30年前と比較して相対的に減少しているようです。

そもそも、子どもに「本をもっと読みなさい!」と注意する大人ですら、今となっては読書よりスマホを眺める時間のほうが長い人がほとんどです。電車の中を見渡しても、本を読んでいる大人は少なく、その多くは子どもと同じくスマホに集中しています。情報端末がインフラの一部となった現代において、スマホは年代を問わず、生活と切っても切り離せない存在なのです。

だからこそ私は、本を読まない子どもを叱り、娯楽をまるっきり転換させて無理に本を読ませるよりも、子どもが夢中になっているものを学びのツールにするほうがずっと建設的だと考えています。

そこで、読解力を伸ばす最高のツールとして私が推奨するのが「ゲーム」です。とはいえ、やはり何のゲームでも良いわけではありません。国語力を伸ばすのにうってつけのジャンルがあるのです。それが、俗に「ノベルゲーム」と呼ばれるものです。

ほとんど本を読まなかった私を支えた「ノベルゲーム」

実は私自身、小中学生の頃はほとんど本を読みませんでした。それでも、語彙力や論理力は同年代と比べて群を抜いていた自負があります。その理由をよくよく考えてみると、ノベルゲームに人一倍真剣に打ち込んでいたおかげだろう、という結論に行き着くのです。

では、「ノベルゲーム」とはいったいどのようなものなのでしょうか。ノベルゲームは、物語やイラストを軸に進行し、プレイヤー自身の選択によってその後のストーリー展開が分岐するゲームの総称です。ゲーム自体はイラストや音楽に彩られていますが、プレイの根幹にあるのは「文章読解」と「意思決定」です。

「文章読解」の側面では、プレイヤーは登場人物の会話や心情描写、さらには作品全体を貫く世界観を丁寧に読み解く必要があります。伏線や比喩表現、登場人物の言い回しの微妙な違いが物語の理解に直結してくるため、ここでは解釈力や想像力が多分に要求されます。

次に「意思決定」の側面では、プレーヤーは上記の「物語の理解」を基に、頻繁に選択を迫られます。1つひとつの選択が無数の分岐を生み、後の展開や最終的な結末を大きく左右していきます。

つまりノベルゲームのプレイヤーに要求されるスキルは、瞬発力やボタンを連打する速さではなく、もちろんログイン時間/回数や課金額でもなく、読解力と判断力なのです。

とくに私が熱中したのは『パワプロクンポケット』シリーズで、一見すると野球ゲームのように思えるのですが、実はノベルゲーム形式で選手を育成することがメインのゲームでした。

このゲームでは、主人公が「練習をするか/友人と遊びに行くか」という細かい行動ですらプレイヤーが選択します。練習を選ぶと、野球能力は向上するものの疲労がたまります。一方で友達と遊びに行くほうを選ぶと、例えば偶然おばあちゃんを助けることになり、お礼に疲れを取るのに役立つドリンクをもらう、などのイベントが起こります。

このような日常的な選択にはじまり、果ては恋人と破局するか否かという究極の問いや、間違えたら世界が滅亡するような問いを投げかけられる場面もあり、これらをクリアしていった末に、本当に強い野球選手が出来上がるのです(このように書くと少し荒唐無稽なゲームですが……)。

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