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80年経っていまだ戦後ではない…民間人に「未補償」の国家を司法が許してきた理屈とは?1人50万円ぽっちの救済法を空襲被害者が切望する理由

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1960年、カナダに移民して現地で在外財産を失った日本人が国に補償を求めて東京地裁に提訴した。判決は1962年2月25日に下された。

原告敗訴。要するに「原告の損害は、戦争により一般国民が強いられなければならなかった犠牲と同じ。ほかの犠牲者に補償していないのだから、在外財産を失った原告にも補償しなくても問題ない」という判断であった。

原告は東京高裁でも敗れ、1968年11月27日に最高裁で判決が下された。

「戦争中から戦後占領時代にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあっては、国民すべてが、多かれ少なかれ、その生命・身体・財産の犠牲を耐え忍ぶべく余儀なくされていたのであって、これらの犠牲は、いずれも、戦争犠牲または戦争損害として、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであり、右の在外財産の賠償への充当による損害のごときも、一種の戦争損害として、これに対する補償は、憲法の全く予想しないところというべきである」と、原告敗訴が確定した。

「戦争では国民みんなが、何かしら被害に遭った。憲法はその被害の救済を想定していない。だから、みんなで我慢すべきだ」という理屈である。

筆者はこれを「一億総懺悔の法理」と呼んでいる。

「みんなで我慢」の“受忍論”で切り捨てられてきた

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