注目の「公立高校の併願制」、"新たな恩恵"と"偏差値至上主義の助長"への懸念 個性の時代に合った公平な制度をつくるには?
その動きは東京都に限らない。例えば神奈川県では「15の春は泣かせない」のスローガンの下、100校もの公立高校を新設する「高校百校新設計画」が推進された。しかしその後、少子化とともに半数近くが統廃合の対象となり、姿を消している。明け透けに言えば、無個性な“収容用高校”は、役目を終えてお払い箱になったということだ。

高校受験塾の講師、教育系インフルエンサー
「東京高校受験主義」のアカウント名で首都圏の受験情報を発信。Xのフォロワーは5万4000人(2025年6月現在)に上る。学校と塾の変化を見続け、小・中学生を教えてきた塾講師。フィールドワークとして都内各地の公立中学校や都立高校を訪問し、区議会議員とのコラボイベントも開催
(写真:本人提供)
やがて、時代は「収容」から「個性に応じた選択」へと大きく舵を切ることになる。きっかけは、1980年代以降の国の教育審議会による「個性重視」の提言だ。この理念の広がりとともに、新たな高校像が模索され始めた。
東京都もこの流れを受けて、1989年には国際学科を持つ国際高校、1991年には無学年制の新宿山吹高校、そして1996年には大学のようなカリキュラムを持つ総合学科の晴海総合高校を新設。中でも新宿山吹高校は、不登校や多様な生徒ニーズとマッチし、今や有数の人気校となっている。これらの“個性化”に大きく振れた高校を1990年代までに整備した東京都の先見性は、評価されるべきだろう。
2000年代に入ると、石原慎太郎都知事の主導により都立高校改革が加速。「学区撤廃」により、都内180校以上の都立高校が都民すべての選択肢となった。そして、進学指導重点校の導入、総合学科、三部制定時制、エンカレッジスクールやチャレンジスクールの設置など、都立高校は現在の“個性を競い合う時代”へと突入していく。
この「個性の時代」において、1994年から導入された「単願制」は、実にうまくフィットした制度だった。受験生は“たった1校”を選ぶために、その学校の校風、教育方針、活動内容を真剣に吟味せざるを得ない。自然と、都立高校への向き合い方が変わったのだ。
キッチリした日比谷、自由奔放の西、青春燃焼の国立、運動会の小山台、文武両道の駒場、国際教育の三田――こうした各校の校風が定着し、普通科であっても私立並みに“中身”が語られるようになった。
今や進学塾に通うような層では、「都立高校は個性や中身で選ぶ」というスタイルが確立されている。西や国立を第1志望とする受験生に「学力的には日比谷も狙える」と助言しても、うなずく生徒は意外に少ない。難関大進学率の差より、校風への共感が重視されているのだ。
これは間違いなく、高校の「個性化」と、1校しか受けられないという緊張感のある「単願制」という2つの車輪がかみ合って生まれた成果である。