高校無償化「理念だけでは結果は伴わない」、私立受験機会の拡大が学力格差を広げる訳 義務教育段階での勉強放棄が増える可能性も

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子どもを中学受験に挑戦させられる家庭は相対的に富裕層である。所得制限の撤廃は、そのような層への補助金としても働く。現実に、中学受験では通塾がほぼ不可欠であることを考えると、無償化で浮いたお金は学習塾などへの補助金に転化する。実際、複数の報道によると、中学受験を検討する家庭が大幅に増えているという。

もちろん、所得中間層も私立中学受験を検討できることを、富裕層との格差縮小として肯定的に評価することもできるが、中学受験は早期からの準備、直前の学校別過去問対策が受験の成否を作用するため、中学受験競争の激化と課金ゲーム化は加速、消耗戦となるため、金銭的に余裕があるほうが有利であることには変わりない。

入試が3科目より5科目のほうが「大学等進学率」は高い

わが国は、先進国の中では、GDPに比較して公教育に投じられる割合が低い国として知られている。今回の高校無償化は、公教育への公的投資の増加として評価する声もあるが、負担者が家庭から税金に置き換わっただけで、学校に入る資金に変化はなく、その部分で質が上がることはない。

では、私立と公立間の競争で学校教育の質は向上するのか? 理論上、学校間競争が教育の質を高めるためには、すべての学校に質向上の余地が公平に存在し、学校選択の主体である家庭や子どもが、質の高い教育を合理的に選択できることが必要だ。

しかし現実は、私立に比べて公立は、授業進度、教員採用、設備投資、入試方法の決定などで自由度が低い。公立は「切磋琢磨」の余地が小さいのだ。

高校進学には非金銭的コストもかかる。その代表は入試準備であり、やはり競争条件が異なる。公立普通科高校の一般入試には原則5科目が必要だが、3科目以下で一般受験できる私立高校は東京都内で98%(定員に対する比)、大阪府内で31%を占める。入試に必要な科目数は入学偏差値と強い正の相関があり、学力が低い子どもほど受験科目が少ない高校を選ぶ傾向にある。

従来、多くの中学生にとって公立が第1志望で、5科目での受験を強いられてきたことで、よくも悪くも、わが国の義務教育終了時の質が保証されていた可能性が高い。無条件の私立の授業料無償化で、中学入学直後から私立専願を決める子どもが増えたらどうなるか。

行動経済学・教育経済学の蓄積によると、子どもは大人よりも将来に対する想像力が乏しい。そもそも、勉強の意義は、勉強して初めて理解できることが多い。従って、すべての中学生が、目の前の学校選択が自分の将来に与える影響を合理的に判断できるわけではない。

私立無償化の影響で、学習意欲の低い子どもの志望校の受験科目数が3科目受験になることで、義務教育期間の理科・社会の学習意欲はいっそう低下するだろう。皮肉なことに、私立受験機会の拡大が、学力格差を広げることになる。

3科目受験であっても、高校で適切な指導をすれば将来の可能性に悪影響はない、との主張もあろう。しかし、それを否定するエビデンスもある。筆者は現慶応大教授の直井道生氏との共同研究(Akabayashi & Naoi 2019)で、公立高校の入試科目数が9〜10科目から3科目の間で大きく変動した1960〜70年代のデータから、科目数が3科目だった年よりも5科目だった年のほうが大学等進学率は高かったことを明らかにしている。義務教育段階での勉強放棄は取り返しがつかないことが多いのだ。

生徒や保護者が合理的な学校選択を行うためには、情報の対称性、すなわち教育の質や結果についての情報が偏りなく手に入ることが必要だ。しかしながら、現在の制度設計ではそのことは必ずしも担保されていない。

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