どうやる?探究学習でやるべきは「湧き上がる好奇心」を知的活動に変えること 授業も「グループではなく個人単位で」の真意
プロジェクト学習を行い、その成果を発表するというのも探究学習の1つだ。しかし、児童生徒の中には、企業の課題や地域社会の課題と自分とをどうつなげたらいいのかわからないという子もいるだろう。
「自分から遠すぎる課題、例えば地域課題の探究は『この人に聞いたら課題を教えてくれる』という人を探し出すロールプレイングゲームになりがちです。未熟なうちは社会課題の解決よりも、自分の特性や苦手なものなど“私自身の探究”と“半径5mの身近なものの探究”を行き来するのがいいと思います」
また、すべての児童生徒が提示されたテーマに興味を持つとは限らない。好きなこと、嫌いなこと、やりたいこと、やりたくないことは、それぞれ異なる。
だが、探究の対象が自分ならば、そんな自分の好き嫌いを知ることも、自分を知る材料になる。変化のスピードが速く、不確実性が高まる現代社会では、同じ仕事を10年先も続けているかもわからないが、だからこそ自分自身を知ることが将来のキャリア形成にもつながる。
「端的に言うと、自分のことを考える時間を増やしたほうがいいということです。そのため、授業も個人単位で取り組むのがいい。グループで行ったほうが効率的だとは思うのですが、人数が増えればどうしても分業になりますし、それは軍事的世界観で求められてきたやり方ですから。大学の卒業論文も修士論文も博士論文も一人で書くもの。自分の軸や価値観ができて初めて共同研究ができるのです」
最初の半年はテーマそのものの探究でいい
児童生徒一人ひとりの探究学習に、教員がどう関わるかというのも難しい問題だ。
これまでの知識を教授する指導ではなく、ファシリテーターとしての役割が教員に求められるといわれる。ファシリテーションとは、活動が容易にできるよう支援したり、うまく進むよう促すという意がある。
「ファシリテーションは難しいので“しよう”としないほうがいいと思います。授業内の30〜50分といった短い時間で探究テーマを見つけるよう誘導するのは容易ではありません。以前、僕が所属した研究室でファシリテーターを育成したのですが、教員経験がある方ほど伸びがよくなかったのです。というのも、先生たちは普段、短い授業時間を分刻みで進行管理しているので、“3分間ただ見守る”ことができないのです」
探究学習は本来、「定められた正解を出すこと」ではなく、「自ら問いを立てること」を経験するもの。しかし、何もせずにただ待つだけでクラス全員が問いを立てられるわけではないのも現実ではないだろうか。
「探究のテーマを見つけるだけでも時間がかかります。それ自体が探究活動ですし、カリキュラムを時間軸の観点から再編する必要もあると思います。アンコントローラブルの多様な植物を、効率よく栽培しようとすると野生ではなくなるのと同じです。
最初の半年は探究のテーマを見つける時間として、自分の嫌いな科目を言語化してみるとか、その改善プログラムを考えてみるとか。自分の好き嫌いを言語化できたら、それはすばらしい教育達成です。とくに思春期は傷や抑圧が増えて悩みやすくなるものですが、自分探究はそれをケアしてエネルギーに変えることができます。小学生だけでなく、中高生にもぜひ自分探究をしてほしいですね」
探究学習を重視した学習指導要領「生きる力」が、小学校に導入されて今年でもうすぐ丸5年。やるべきことが積み上がり続ける学校教育における「探究学習とは何か」という探究は、もうしばらく続きそうだ。
(文:吉田渓、編集部 細川めぐみ、注記のない写真: Fast&Slow / PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部
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