ハマのドン・藤木幸夫がこだわる「人との対話」 政財界が一目置く「情理に生きる男」の素顔【後編】
IRに反対したのは利権のため──。政財界でそう見られてきた藤木幸夫。94歳になるこの男の、筋の通し方に迫った。
藤木自身が辛酸をなめた、戦争中の経験にも触れておきたい。
藤木が小学校5年生のときに始まった太平洋戦争は、年々激しさを増した。忘れられないのが45年5月29日の横浜大空襲だ。藤木は高校生になっていた。
その日は朝から五月晴れの天気だった。藤木は、父親から買ってもらった自転車に乗って、いつものように登校した。
作業着に着替え、仕事を始めようとした矢先、空襲警報が鳴り響く。爆音に続き、焼夷弾が夕立のように落ちてきた。防空壕への避難を誘導したのが、藤木をかわいがり、藤木もまた兄貴分のように慕っていた榎本先生だった。
榎本先生が生徒たちの防空壕避難を見届けた、その瞬間、焼夷弾が直撃する。先生の体は、ばらばらに散った。
先生の脳みそを空き缶に入れた記憶 政治家への怒り
火勢が弱まった後、藤木は榎本先生の亡骸を探した。が、見つかったのは、先生のバックルと脳みそだけだった。
藤木は、手で脳みそをかき集め、さびた空き缶の中に入れた。そしてバックルと一緒に、先生の妻の元に届けた。
「人生で、あんなに悲しいことはなかった」と藤木は述懐する。
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