ハマのドン・藤木幸夫が貫いた「死者との共闘」 政財界が一目置く「情理に生きる男」の素顔【前編】
IRに反対したのは利権のため──。政財界でそう見られてきた藤木幸夫。94歳になるこの男の、筋の通し方に迫った。
「売られたケンカに対応しただけだよ」
さらりと言ってのけるが、その相手は時の最高権力者である。
藤木幸夫の名が全国にとどろいたのは3年前のこと。時の首相、菅義偉が推進した横浜市のカジノ誘致に徹底抗戦したのだ。
藤木が率いる藤木企業は、横浜の港湾事業を取り仕切ってきた、知る人ぞ知る老舗の港湾荷役企業。藤木自身は、神奈川県最古参の自民党員である。
カジノを含む横浜IR(統合型リゾート)構想は、横浜市議からスタートし首相にまで上り詰めた菅の目玉政策。真っ先に支持をするとみられていた藤木はしかし、敢然と反対した。カジノ反対の市長選候補者を立てて、新聞には全面広告を展開。選挙戦では台風の中、マイクを握った。
「港で賭博はやらせない。命を張って反対する」
ついにカジノ反対の市長を誕生させ、誘致撤回に追い込んだ。
並ならぬ政界人脈をもつハマのドン
藤木の政界人脈は並ではない。自民党元幹事長の二階俊博とは兄弟分。元首相の森喜朗とは早稲田大学時代の先輩後輩。麻生太郎とは酒を酌み交わしながら長時間話し込むほど親しい仲だ。
毎年正月に開催される横浜港運協会の賀詞交換会では、最前列に構える藤木の前で自民党、公明党、立憲民主党各党の議員らが次々と壇上へ上がり、支援を請う。
いつしか人々は、藤木のことをこう呼ぶようになった。
ハマのドン──。
そのドンが、首相肝煎りのカジノに反対ののろしを上げたことに、政財界は仰天した。
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