有料会員限定

アルクスニスのクーデターの見解が主流になった 佐藤優の情報術、91年ソ連クーデター事件簿63

✎ 1〜 ✎ 454 ✎ 455 ✎ 456 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

有料会員限定記事の印刷ページの表示は、有料会員登録が必要です。

はこちら

はこちら

縮小

筆者はソ連人民代議員のヴィクトル・アルクスニス氏から、クーデターが失敗に終わった後の保守派の動静を探るつもりだった。しかし、互いに自分の家族について話すうちに情報収集のことなど忘れてしまい、アルクスニス氏の将来を自分のことのように心配するようになった。

アルクスニス氏のアイデンティティー

「マサルが話したラトビア人やアゼルバイジャン人の気持ちは僕にもよくわかる。僕の気持ちの中に揺れがある」

──揺れとはどういう意味か。

「僕はラトビア人でありロシア人だ。ラトビア人民戦線ができたとき、その活動に加わった。しかし、そこにはラトビア民族至上主義の萌芽があった。これは危険だと思って人民戦線を離れ、インテルフロント(民族間友好戦線)をつくった。しかし、インテルフロントには思想がなかった。人民戦線に反対するという点だけで結集した団体だ。だから僕はここからも距離を置き、『ソユーズ』というグループをつくった」

──ソユーズの本質は、ソ連を非共産主義国家に再編することだと僕はみている。だからソ連共産党中央委員会はソユーズを危険視した。この理解で間違っていないか。

関連記事
トピックボードAD