教育現場で広がるボードゲーム、「目的設定」せずに負けも失敗も楽しんで 「熟練者のみでの勝利」より満たされるものは

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「『コミュニケーション能力を伸ばせるゲームは?』『協調性アップに効果的なゲームは?』といったピンポイントなリクエストが、近日は増えていると聞きました。教育現場に定着した分、かえってゲームが特定の力を伸ばすためのドリルのように扱われ始めている」

ボードゲームを「目的のための道具」にすると、遊びが持つ本来の力が失われるのではないかと與那覇氏は続ける。目的を持つことを一概に否定するわけではないが、同氏は「純粋な楽しさ」を伝えたいと考えている。

「能力を身に付けろとまでは言わなくても、『親睦のために』『互いに関心を深めよう』といった目的をつい設定しがちですよね。しかし目的ありきではなく、むしろ目的なしに遊び会話する中でこそ、ボードゲームの一番の長所は享受できるものだと思うのです」

能力が低い人がいてもいい、失敗してもいいという体感

與那覇氏は、すぐに「〇〇力」「〇〇スキル」という発想になってしまう背景には、現代のメリトクラシー(能力主義)の影響があると指摘する。

「成功し続けなければならない社会で、多くの人が疲れているのではないでしょうか。能力が低い人はいたらいけないのか、失敗したらいけないのか。ボードゲームは『そうではない』ということを体感させてくれるものだと思います」

メリトクラシーの原理だけでボードゲームを扱うなら、プレイヤーはつねに「うまいプレイ」ができなければ、遊ぼうと声をかけてもらえなくなる恐れがある。勉強の世界でも、つねに100点でなければ「家族や友達に認めてもらえない」というプレッシャーの下で育った子どもは、進学等をきっかけに成績が低下した際、自らの価値も見出せなくなりがちだ。社会的に成功している大人たちにも同種の不安がある、と與那覇氏は見ている。

だが、実際のボードゲームは「そうではない」。膨大な種類があるため、あるゲームの常勝プレイヤーも、別のゲームでは初心者――つまり「能力が低い人」になる。しかしそれでゲームから閉め出されることはなく、周囲は自分の不利益も顧みずに手を貸してくれるのだ。

強者の立場でも、「負けたっていい」ことを実感するチャンスがある。

ハイレベルなプレイヤーだけでストイックに勝負するのも1つの楽しみ方ではあるが、不思議なもので、勝ち続けるとつまらなくなってくる。だがそこにルールがわからない初心者が入ってくることで、場の空気は一変する。「強い人も新鮮な気持ちが取り戻せるし、教える喜びを味わうこともできる。『ヘタクソプレイヤー』がいるゲームも、それはそれですごく楽しいものです」と與那覇氏もほほ笑む。

「日本には一度失敗した人を笑ったり、『ケチがついた』などと再起を阻んだりする空気が強くあります。ゲームの際に『負けたらつまらない』『負けたくないからやらない』という人がいることにも、この風潮が関わっているかもしれません。でも初心者にルールやコツを教えて、相手がそれをつかんでいく過程で自分が負けたとしたら、つまらないどころかむしろうれしい。ゲームでは何回失敗してもいいし、大胆な挑戦をして負けた経験から、意外な勝ち方を見つけることも少なくありません」

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事