岸田政権の原発処理水に関する説明は十分だったのか。中国に策謀の機会を与えたのは政治術不在ゆえだ。
はるか昔の学生時代、京極純一先生の政治学の講義で、政治の世界で紛争を処理するときには、「盗人にも三分の理」という心構えが必要という話を聞いた。不当な主張をしているように見える側にもそれなりの言い分があり、それを聞いたうえで妥協点を探るのが政治術だという意味だった。
いわゆる処理水の海洋放出をめぐる岸田政権の稚拙な対応を見て、このエピソードを思い出した。もちろん海洋放出に反対する人々は盗人のような不当なことをしているわけではなく、むしろ三分の理しかないのは政府の側であろう。
自国の原発事故に起因する放射性物質を含有する水を太平洋に流すなら、もっと肩身の狭そうな態度で国内関係者や各国に平身低頭してお願いしたうえでなければならない。中国がこの問題を政治的に利用していることは明らかだが、中国にそのような策謀の機会を与えたこと自体、岸田政権における政治術の不在の帰結である。
たまり続ける処理水対策としての海洋放出を国民や諸外国に支持してもらうには、それが唯一可能で安全な方法であること、または可能な選択肢の比較の結果、最善の方法であることを論証しなければならない。岸田政権はその義務を果たしたとは言いがたい。
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