「指導死」8割は暴力なし、背景に「多忙」や「厳しい先生が重宝される構造」も 多いのは教科やいじめに関する「不適切な指導」

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例えば、被害者を加害者と勘違いする、加害者側についてしまう、被害の訴えがあっても相手にせず逆に怒る、いじめられた子が反撃するとそれをいじめだとして処罰する――武田氏が調査した中には、こうした不適切な指導で子どもが亡くなる事案があった。

「先生方の忙しさが関係していると思われるところでは、ストレス発散になっていたような事案もあります。よくあるのが、まじめな生徒が叱られているとき、複数の先生が無計画に寄ってきてみんなで責め立てるというもの。まじめな生徒は反撃してこないとわかっているからでしょう。しかし、そういう子ほど自分を追い詰めてしまいます。たとえ理不尽だと感じても対抗するすべがなく、学校や部活を辞めるとか、自分がいなくなる方法でしか子どもには解決できないのです」

学校での“虐待”が指導として容認される背景とは?

指導死が徐々に認知されてきたにもかかわらず、いまだになくならないのは「厳しい先生が重宝される」(武田氏)構造も大きいようだ。

「子どもが大人の言うことを素直に聞くことが、先生や保護者の理想になってしまっていると感じます。だから、それを少ない労力で実現できる厳しい指導が優先され、一人ひとりの傷つきに鈍感になってしまうのでしょう。部活動の指導死などは典型的ですが、優れた子が見せしめのターゲットになりがちです。先生も心理的に全能感を味わえるため、厳しい指導になりやすいという面もあります」

児童生徒間のいじめに関してはいじめ防止対策推進法がある一方、教職員の不適切な指導については抑制する法律や通知がないことも問題だと武田氏は語る。

「2011年に『子供の自殺が起きたときの背景調査の指針』ができ、自殺事案は第三者委員会が入ることが多くなりましたが、不適切な指導が背景にあると疑われる場合でも自殺未遂や不登校などに関しては調査すらされません。また、裁判になっても『一定の効果があるので教師側の裁量権の範囲内』など、先生側に寛容な判決が出ることも。しかし、先生は退職しない限り学校現場に残り続けます。その影響力を考えれば、子どもから子どもへのいじめ以上に、先生から子どもへの不適切な指導は防ぐ必要があるのではないでしょうか」

児童虐待防止法では、心理的な外傷を与えるものも児童虐待と見なされる。職場でも、22年4月から改正労働施策総合推進法に基づき、いわゆるパワーハラスメント対策は事業主の義務となった。しかし、学校での“虐待”はいまだ指導として容認されていると武田氏は指摘する。

「昔は家庭での体罰はしつけだと容認されていましたが、2000年の法改正で虐待として取り締まる対象となりました。家庭の懲戒権が変わったのですから、先生から子どもへの懲戒権も考え直すべきです。第三者委員会が『この先生の言動で亡くなった』と因果関係を認めても、多くは口頭注意で罰則がありません。日本全国、不適切な指導をした先生に対する処分が甘いのが現実です。こども基本法はできましたが、国は指導死の防止についても自治体任せではない形で法の整備をすべきでしょう」

1人の指導死の前には、何人もの子どもが追い詰められている

こうした中、2022年に改定された生徒指導提要に「懲戒と体罰、不適切な指導」が盛り込まれた。文科省が毎年行う「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」でも、自殺した児童生徒の状況に関する設問に今年度から「教職員による体罰・不適切な指導」が加わった。

「一歩前進だとは思いますが、問題は子どもの自殺の報告について遺族がチェックできる体制がないこと。現状、文科省は『学校が正直に書きやすいように』と、報告の内容や報告の有無もいっさい情報開示していません。これでは、調査の設問を変えても意味がないのではないでしょうか。実際、学校側が現場では不適切な指導を認めて謝罪したにもかかわらず、文科省には家庭の問題として報告していたケースもありました。だから、『学校の問題より家庭の問題で亡くなった子のほうが多い』という調査結果になるのでしょう」

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