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日本に関心を寄せるジャーナリストに出会う幸運 佐藤優の情報術、91年ソ連クーデター事件簿⑲

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前回記したように、モスクワの日本大使館近くのカフェで一緒に食事を取った「ラトビア青年」紙記者のイーゴリ・ラズモフスキー氏。彼と筆者が知り合ったのは、1990年7月2〜13日に行われたソ連共産党第28回大会の記者会見場でだった。党大会は、ソ連共産党の最高意思決定機関だ。これがソ連共産党の最後の党大会になるとは、筆者だけでなくゴルバチョフ・ソ連共産党書記長も思っていなかっただろう。

この党大会では「グラスノスチ」(公開制)政策を反映して、従来の党大会とは異なり、記者会見が毎晩行われた。記者会見にはソ連や東欧の社会主義国の記者だけでなく西側の記者も出席でき、外交官もオブザーバー参加(質問はできないが会見の様子を傍聴することができる)が可能になった。筆者は、上司からソ連外務省プレスセンターで行われるこの記者会見の傍聴を命じられた。

通訳の重要性

東京の外務本省で1年半、英バッキンガムシャー州の英陸軍教育隊ロシア語学校で1年、モスクワ国立大学で9カ月のロシア語の研修を受け、その後2年間実務に就いていたが、記者会見の内容を十分に理解できなかった。

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