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語学力を優秀なネイティブに補完してもらう 佐藤優の情報術、91年ソ連クーデター事件簿⑳

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ソ連外務省プレスセンター3階の会員制クラブは、ソ連外務省情報出版局の職員に招待されて2、3回訪れたことがある。ちなみに情報出版局は外務省の所属になっているが、その中には少なからず対外諜報担当のKGB(ソ連国家保安委員会)第1総局の職員がいるといわれていた。

ソ連崩壊後、これが単なる噂ではなく事実であったことを知った。ソ連時代から親しくしていた情報出版局の職員が「僕は民間企業への転職を考えている。だから佐藤さんには本当のことを打ち明けようと思う。おそらく佐藤さんは気づいていたと思うが、僕はSVR(ロシア対外諜報庁、KGB第1総局の後継機関)の将校だ」。そう言って、その人は横に細長い二つ折りの赤い身分証明書を見せてくれた。軍服を着た写真が貼られ、中佐という階級が記され、外務省で名乗っていたのと同じ名前が記されていた。

「あなたがSVRだとは思っていなかった。あなたの前任者が外交官に偽装したKGB将校だと思っていた」と答えると、中佐は笑いながら「前任者は違う。生粋の外務省出身だ。人事を見ればわかる。東京のロシア大使館でも普通の仕事をしている」と答えた。1992年夏のことだった。この中佐はゴルバチョフのペレストロイカ政策を強く支持していた。ソ連崩壊後、急速に社会が混乱するのを目の当たりにして政治への関心を失い、家族の生活を保障するためにきちんと稼げる仕事に移るという選択をした。

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