衆院解散は見送られたが、議会制民主主義の観点からもう一度その意味を問い直すべきだ。
6月半ばの内閣不信任決議案と衆議院解散をめぐる政局は、大山鳴動してねずみ一匹という結果に終わった。しかし、冷静に考えるべき重要な論点がいくつか提示されたように思われる。以下、それについて考えてみたい。
まず1つは、否決されるのがわかっている内閣不信任案を野党が衆議院に提出することである。これに関しては、無意味な年中行事であるとか、はたまたコスパが悪いとかいった批判が大手を振ってなされた。しかし、それらはあまりにも近視眼的な見方であり、議会制民主主義に関する無理解に基づくものだ。
一見すると予定調和的でコスパが悪い年中行事は、国会にあふれている。天皇が臨席して行われる開会式、国会冒頭に実施される野党の代表質問、野党による法案提出などだ。このロジックに従うと、与党の事前審査が存在し、党議拘束がかかる以上、政府提出法案の審議についても無駄ということになりかねない。最終的に行き着くところは首相公選論であり、国会不要論である。
しかし、日本は憲法上、議院内閣制を採用している。首相は国会の議決によって選ばれ、内閣は連帯して国会に責任を負う。したがって、どの政党が政権を支持しているのか、または支持していないのか、それはなぜなのか、議場で議論を戦わせることは、極めて重要といわねばならない。主権者たる国民にとっても、選挙で投票する際の有力な手がかりになる。
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