モスクワの日本大使館では、「プラウダ」(ソ連共産党中央機関紙)や「イズベスチヤ」(ソ連政府官報)、「赤い星」(ソ連国防省中央機関紙)、「文学新聞」(ソ連作家同盟機関紙)などの中央紙だけでなく、連邦構成共和国の共産党(兼共和国政府)機関紙(地方紙)も購読していた。地方の党人事に関する情報を集めることが主目的であった。
ソ連時代は要人名簿のようなものは販売されておらず、とくに地方の人事については地方紙に掲載された情報を蓄積するほかなかった(1989年に筆者は、中央や地方の部内使用の名簿と電話帳をひそかに入手するルートを開発したので、地方紙をチェックするという面倒な作業から解放された)。
88年秋に地方紙を整理していると、アゼルバイジャン共産党の機関紙「バクーの労働者」に、アルメニア共産党を非難する論考が掲載されているのに気づいた。アルメニア共産党機関紙「共産主義者」は、ナゴルノ・カラバフ自治州のアルメニアへの移管を主張する論考を掲載するようになった。
ソ連以外の代表部とも積極的に接触
ソ連は、主権国家の同盟という建前なので、連邦構成共和国にはそれぞれ外務省がある。もっとも人員は7〜8人から20人程度で、日本の県庁の渉外係のようなものだった。また、モスクワには各共和国の常設代表部がある(89年ごろから共和国の主権強化が進むと正式名称が「全権代表部」に変更になり、ソ連崩壊後は大使館になった)。筆者はアルメニアとアゼルバイジャンの常設代表部を訪ねてみようと思い、どうしたらよいかと上司に尋ねた。
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