国鉄時代、北海道を駆け抜けた「急行列車」の記憶 鉄道ファンが熱狂した「ニセコ」「大雪」の勇姿
国鉄時代、全国各地を結んだ庶民の足「急行列車」。JR線上から定期列車の「急行」は姿を消しましたが、その名は今も郷愁を誘います。
東洋経済オンラインで懐かしの列車を中心とした記事を掲載している鉄道写真家・南正時さんの著書『急行列車追跡乗車記』は、昭和40~50年代に撮影された多数の写真を中心に、懐かしい急行列車の姿を描いています。同書からSL牽引で人気だった北海道の急行列車「ニセコ」と「大雪」の項目を抜粋(一部再構成)し、掲載写真の一部とともに紹介します。
東洋経済オンラインで懐かしの列車を中心とした記事を掲載している鉄道写真家・南正時さんの著書『急行列車追跡乗車記』は、昭和40~50年代に撮影された多数の写真を中心に、懐かしい急行列車の姿を描いています。同書からSL牽引で人気だった北海道の急行列車「ニセコ」と「大雪」の項目を抜粋(一部再構成)し、掲載写真の一部とともに紹介します。
北海道を代表する急行「ニセコ」
1970年代、北海道を代表する急行のひとつだったのが急行「ニセコ」だ。札幌―函館間を結ぶ客車列車と、根室―函館間のディーゼル急行の二種類があったが、本欄では客車急行によるニセコを取り上げる。
客車急行は1971年9月まではC62形蒸気機関車による牽引で全国のSLファンの人気を集めたが、同年9月15日限りでDD51形ディーゼル機関車の牽引に変わった。それでも客車はC62形が牽引していた時と同様に旧型客車を使用しており、DD51形も小樽―長万部間は重連による牽引で迫力ある峠越えが見られた。
急行「ニセコ1号」函館行きは札幌を10時20分に発車する。電化区間の札幌―小樽間は電気機関車のED76形500番台が牽引し、小樽からの通称「山線」をDD51形重連が担当した。本務機には小樽築港機関区、前補機には五稜郭機関区の所属機が運用され、すべて寒冷地向けのA寒地仕様だった。五稜郭区にはボンネット先端に前照灯を一灯増設した「三つ目」の機関車も所属しており、これが牽くこともあった。
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