報道は「中立」ではなく「独立」が大事である理由 『事実はどこにあるのか』著者の澤康臣氏に聞く

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『事実はどこにあるのか』著者の澤 康臣氏
澤 康臣(さわ・やすおみ)/専修大学文学部ジャーナリズム学科教授。1966年生まれ。東京大学卒業後、90〜2020年共同通信記者。社会部や外信部、特別報道室で取材し、パナマ文書報道など数多くの調査報道を手がけた。06〜07年に英オックスフォード大学ロイター・ジャーナリズム研究所客員研究員。20年から現職。(撮影:今井康一)
日々のニュースをどう見るべきか。本書はわかりやすさをうたう時事解説本とは一線を画す。過去の事例を通し、報道の価値や問題を解説。情報やニュースの見方を示してくれる。
事実はどこにあるのか 民主主義を運営するためのニュースの見方 (幻冬舎新書 687)
『事実はどこにあるのか 民主主義を運営するためのニュースの見方』(澤 康臣 著/幻冬舎新書/1100円/296ページ)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

──民主主義のためにニュースや情報が大事だと指摘しています。

私たちは市民として社会に参加して、社会をつくっている。つまり民主主義を運営している。その社会にはどんな問題があるか。報道はそれを伝え、隠された事実を掘り起こす役割を担っている。私たち市民は社会の問題を認識し、どう解決するか議論するに当たって、ニュースを活用している。

ただし、情報(ニュース)には質のいいものと悪いものがある。私は情報をよく食べ物に例えて説明している。体を健康的に動かすためには、栄養があって体にいいものを摂取する必要がある。民主主義に参画して社会を動かすためにも、バランスが取れた質の高いニュースが必要だ。

とはいえ、食べる理由は、「栄養があるから」ではなく、「おいしいから」であることも多い。体のことを気にしなければジャンクフードばかり食べてもいいわけだ。つまり民主主義の運営に強い関心がなければ偏った情報ばかりを摂取しても、または娯楽につかり続けても構わない、となってしまう。

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