部活動改革で知っておくべき中体連の「真の理想」と、設立で目指したもの 過熱化に立ち向かうのは「自由」と「本当の自主性」

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「先方から『感動しました。現在の中体連内部の先生方は、こうした経緯を知らないのです』と言われてうれしかったですね。部活動は多くの問題が指摘されており、このままでいいと思っている人は中体連にもいません。研究を深めることで複雑化した部活動の過去をひもとき、さまざま立場の人のコミュニケーションの懸け橋になれたらと考えています」

中澤氏は自身の研究結果を踏まえ、「子どものスポーツを管理する団体」の存在意義も実感した。

「新興の競技では中体連の管理下にないものもあり、そうした部活動では練習時間が長かったり大会日程が授業を妨げたりという問題点も見られます。適切な取り組み方かどうか、良識ある大人が見てあげるのは必要なことだと思います」

「全国中学校体育大会の成立過程」(『体育学研究』67)

質問の多いアスリート、「特異化」されてきたアスリート

一流のアスリートでも、自身を「同世代のナンバーワンではなかった」と言うケースは多い。それは自分の上にいたナンバーワンが、ケガで競技をやめてしまったことを意味している。

「幼い頃からスポーツに人生のすべてを懸けることは、とてもリスクの高いことだと思います。私の教え子でもスポーツ推薦で入学した学生は多いですが、一般的には学力のほうが将来を生き抜くための資源になるということも伝えるようにしています」

そうしたいわば「スポーツ優等生」の学生の振る舞いで、中澤氏には気になることがある。

「アスリート型の学生は、教員にとても多くの質問をする傾向があると感じます。それはまるで『方法を教えてくれたらボクは走れる』とでも思っているかのようです」

質問攻めの理由が、それまでの学校スポーツの中で「自ら考える力」を伸ばしてこなかったことにあるとすれば、それは戦後の部活動が理想に掲げた「自主性」と矛盾するのではないか。気になることはほかにもある。

「インカレを制した学生が、それを私のところに報告に来てくれたとしましょう。もちろんそれはすごいね、よかったねと褒めます。でも例えば、音楽をやっている学生が今まで弾けなかった曲が弾けたとか、家族とうまくいっていない子が勇気を出して親と話せたとか、各々が達成の喜びを感じることには等しく価値がある。だから私は等しく褒めますが、スポーツに打ち込んできた学生は『えっ?もっと褒めてくれないの?』という反応をすることがあります。例に挙げたようなことより、スポーツの結果のほうが価値があると思っているからだと思います」

中澤氏は、このようにスポーツに熱中する子どもや若者を「一般社会と切り離して特異化させてはいけない」と語る。実際に、閉ざされた部活動で特異化されてしまった学生は、一般学生との間に溝をつくることも多いという。

「部活動は人生全体の一部であることを忘れてはいけないし、そうでなければやがて実社会からはみ出してしまう。大学教員としての私のミッションは、特異化されてきた学生とそうでない学生を意図的に交ぜ合わせ、互いに学び合う関係をつくることですね」

お膳立てされなくてもやりたいと思うことが「自主性」

部活動はあって当たり前のものだったために、保護者も生徒もそこに多くを求めがちだ。中澤氏はこれからの部活動では、その高まりすぎた期待値を下げることが必要だと語る。

「子どもの『やりたい』という言葉にはもちろん真摯に向き合うべきですが、他方で、子ども自身もよくわからないまま口にすることもありますから、素朴に信じればいいというわけでもない。眉唾ものくらいに受け止めて、少しぐらい突き放してもいい局面もあるでしょう。それでも生徒が本当にやりたいなら、練習メニューやスケジュールも自分たちで決めればいいし、それができないならやらなくていいのです。すべてやってあげなければ教師失格のように思っている先生もいますが、そんなことはありません」

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事