ソビエト連邦のスターリン政権下で秘密警察として機能したNKVD(内務人民委員部)とその後継組織に当たるKGB(国家保安委員会)は、国外で暮らすロシア人に約70年にわたって目を光らせていた。在外ロシア人が体制に脅威をもたらす可能性を恐れたためである。その伝統はプーチン大統領の治安機関FSB(連邦保安庁)にも受け継がれている。FSBが少し前に発表した推計によると、今年1〜3月にロシアを離れた国民はほぼ400万人に達した。少なくとも全人口の2%が国を去った計算となる。
FSBがこうしたデータを集めているのは、もちろん暇潰しのためではない。1917年の十月革命から91年のソ連崩壊までの期間を通じて、ロシア人ディアスポラ(在外居住民)は「労働者の楽園」を喧伝する当局にとって目の上のたんこぶのような存在であり続けてきた。ロシア国民の流出は05年の第1次革命が失敗に終わった頃から始まっていたが、その数は17年にボリシェビキが権力を掌握すると急増。「リトルモスクワ」が欧州の各地に生まれた。
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