ボーク重子、公教育こそ「非認知能力育成を取り入れるべき」納得の理由とは? 人間の総合力が問われる時代、変わるべき教育

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「非認知能力」が注目されているが、まだまだ現場で実践に取り入れている学校は少ない。しかし、誰もが等しく教育を受けられる公立の学校でこそ、非認知能力を取り入れた学校づくりをするべきではないか。先行して改革を実行している学校は貴重だ。この連載では今後、非認知能力コーチングのパイオニア、ボーク重子氏が話題の学校現場に「潜入」し、どのように改革を成し得たのか、そこに至るまでの改革者たちのパッションと現場の声を取材、非認知能力を学校現場に取り入れるヒントをお届けする。今回は、そもそもなぜ非認知能力が公的な教育現場に必要かについて、社会が抱える課題を含めて考えてみたい。

非認知能力の育成に格差があってはいけない

2018年以来、非認知能力を育む子育てに関する本を出版しており、非認知能力育児コーチングの活動をしている私のパッションは「非認知能力の育成に格差があってはいけない」ということです。自己肯定感、自信、自制心、主体性、好奇心、柔軟性、やり抜く力、回復力、楽観性、共感力、協働力、社会性などの目に見えない能力(非認知能力)の育成は、ひらがなや足し算のように誰もが当たり前に受けられる教育でなくてはいけないと思っています。

なぜ今、非認知能力が求められるのか? それはグローバル化や、多様化、AI化が加速する変化の激しい社会では知識(認知能力)だけでは生きていけないからです。社会は命令や指示待ちをするのではなく、主体性を発揮して自ら人生を切り開いていく人材を必要としています。それに応えるように大学受験は点数以外の「あなたはいったい誰ですか?」「何をしたいのですか?」「どんなふうに社会の役に立っていきたいのですか?」という非認知の部分、人間であるからこそ持てる能力といった部分に目を向け始めています。

そして世界を見てみると、すでに「認知能力+非認知能力」の教育にシフトしています。今やらなければ、この変化の激しい社会を乗りこなす子どもを育むことができなくなるからです。実際15年以降「非認知能力を育成する教育を取り入れたら子どもたちの幸福度、生きる力、学力が向上した」という調査結果が世界中から続々とOECD(経済協力開発機構)に報告されています。

米国に関していえば18年の時点ですべての州で非認知能力育成のゴールを掲げています。未就学児に関するゴールだけを設定しているところもあれば、高校卒業まで授業に組み込んでいるところも18州あります。

さらに、大学受験においてはSAT(従来の読み書き、認知能力を問う共通の学力テスト)を免除しているところも多数あります。とくにコロナ禍においては8校ある名門アイビーリーグ大学のうち、7校がSATを免除しました。

では、学校はいったいどのようにして合否を決めるのでしょうか? それは、次のような内容を総合的に評価し、決定されます。高校4年間における勉強に向かう姿勢(どれだけ自分に挑戦したか?)、課外活動(どれだけ社会に貢献したか? どれだけ自分を取り巻く社会に関心を向けたか?)、学校での学業以外の活動(学校というコミュニティーの一員としてどのように役に立ったか?)、学業以外の興味、そしてその生徒を取り巻く環境などです。

生徒を成績という一面からではなく多角的に見ることを「ホールチャイルドアプローチ」と言いますが、米国ではトップの大学をはじめ多くの大学がウェブサイトなどで評価方法として明確にうたっています。

学力(認知能力)では、その子どもの学習における習熟度がわかりますが、それだけではその子どもがいったいどのような人間かという人間性がわからないからです。

米国においては、例えば日本にあるような大学合格を目指した学習塾というのは一般的ではありません。米国、とくに大都市を中心に広がる「受験コンサルタント」の仕事は、受験生の「キャリア」をつくることにフォーカスしています。受験生のキャリアとは学校の成績だけではなく、その子らしい興味、その興味を中心とした学校内外での活動、それを社会貢献につなげる活動など、人間としての総合力のことを指します。

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