国家財政は破綻するのか、神学論争回避への提言 矢野財務次官の「財政破綻」投稿を考える

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財務省の矢野康治事務次官の論考が波紋を呼んでいる。財政規律と国家財政をどのように考えればよいのか。名古屋大学大学院の齊藤誠教授による論考である。

財務省の矢野康治事務次官が月刊誌に寄稿した論考が波紋を投げかけている(撮影:梅谷秀司)

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財務省の矢野康治事務次官は、「財務次官、モノ申す:このままでは国家財政は破綻する」と題する論考を『文藝春秋』11月号に寄稿した。この論考をめぐって繰り広げられてきた政策論争は、あらためて現在の日本の財政状況について激しい意見対立があることを多くの人々に印象づけた。

矢野氏をはじめとした人々の主張を乱暴にまとめてしまうと、「財政規律を守らなければ、国家財政は破綻する」となろう。一方、矢野氏の論考に激しく反論している人々(例えば、自民党の高市早苗政調会長)の主張を、これもまた強引にまとめてしまうと、「財政規律を棚上げにしても、国家財政は破綻しない」となるであろう。

2つの主張は、まさに真っ向から対立している。しかし対立の様相がどこかプロレス興行に似ているのではなかろうか。どちらが悪玉で、どちらが善玉かはわからないが、同じリングの上で見事に四つに組み合っている。

こうした悪玉と善玉のにらみ合いには、どちらの立場にも共通するルールやマナーが必ずある。そうでなければ、プロレスは殺し合いと化してしまうであろうし、リングの周囲に陣取っている観客たちは、もはや興行として楽しめなくなる。

規律順守派と規律棚上げ派の激闘も、国民たちはどこかで安心して興行を観戦しているようなところがある。ということは、両陣営の政策や主張に共通する「暗黙の了解」があるのではないだろうか。

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