原発事故8年後の福島、農業復興への厳しい現実 東京電力の賠償縮小など多くの壁が立ちはだかる
復興を目指す福島の農家。東京電力の賠償縮小など多くの壁が立ちはだかる。
「国や県の支援はあと3年でおおかた終わりだろう。それまでに農業再生の道筋をつけられなければ、その先は厳しい」。福島県南相馬市小高区の農家、大内安男さん(66)が、目の前に広がる麦畑を見てつぶやいた。
大内さんが暮らす川房集落は、東京電力の福島第一原子力発電所から北西約14キロメートルの山あいにある自然豊かな集落だ。しかし、2011年3月、東日本大震災で起きた福島原発事故は、集落の人々の暮らしに甚大な影響を及ぼした。
放射性物質による積算被曝線量が年間20ミリシーベルトを超える見通しだったことから、川房集落は国によって「居住制限区域」に指定され、主力産業である農業も壊滅的な打撃を受けた。
大内さんは避難生活を余儀なくされ、川房でのカバープランツ(緑化植物)の栽培も一時中止を強いられた。16年7月の避難指示解除と同時に川房での営農を再開したが、規模は事故前の5分の1にすぎない。
復興は時間との闘い
その大内さんが農業再建の足がかりとして期待をかけているのが、食物繊維が豊富で栄養価の高いもち麦の栽培だ。放射性物質の除染を終えた畑を周辺の農家から借り受け、もち麦の栽培を始めた。飛び込み営業が功を奏し、販売先の開拓にもメドが立った。
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