三洋マンの敗れざる人生、常識を覆す掃除機とは? シリウス亀井隆平社長の半生記
前作のスイトルは掃除機の吸引力を利用してタンクの中の水をジェット噴流で床に吹き付け、汚れを吸い取る仕組みだった。画期的な商品であるが、掃除機がないと使えないのが欠点。だが次世代機であるウイルス・ウォッシャーはモーター付きで、除菌作用のある次亜塩素酸で床と部屋の空気を除菌する本格的な水洗いクリーナーだ。
ペットの粗相や子どもの食べこぼしをきれいに掃除できるスイトルは、発売から1年で4万台を売るヒットを記録した。開発中のウイルス・ウォッシャーも、家電量販店から「早く持ってきてくれ」と矢の催促が来ている。
若いときは柔道一筋。三洋社員として経営の中枢に

パナソニックは11年4月、三洋電機を完全子会社化した。多くの三洋社員は退職を余儀なくされ、パナソニックに移った社員もやがて退職を選んだ。亀井もその1人である。
亀井は柔道6段。国士館大学体育学部を卒業し、浜田幸一衆院議員の秘書になったが柔道は続けた。柔道の活躍が三洋電機実業団の監督の目に留まり、三洋に入社する。足を痛め30歳で引退するまでは「柔道一直線」の日々だった。
三洋では札幌の営業所に配属されそこで6年間、家電メーカー社員としての基礎を学んだ。
「松下(電器産業)とソニーは看板で売る。三洋電機は人で売る」
先輩にそう教えられた。面白い商品は出すのだが、営業の前線では松下(パナソニック)、ソニー、日立製作所、東芝といった資金力のある大手にかなわない。「三洋さんは要らないよ」という量販店を「そこを何とか」と拝み倒した。
その後、大阪の本社に呼ばれ、商品企画部門に配属される。担当したのはエアコンや温風ヒーターの企画で、ニーズを探るため全国の量販店を回った。柔道しか知らなかった口下手な男が、いつしか営業トークも上達した。
その実績を買われ経営企画部門に配属されたのだが、当時の三洋は04年の新潟県中越地震で半導体工場が被災したこともあり、半導体や液晶への過剰投資がたたって資金難に陥っていた。創業家会長の井植敏は財務の立て直しを狙い、社外取締役だったジャーナリストの野中ともよを会長兼CEO(最高経営責任者)に据え、長男の井植敏雅を社長にした。
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