昨年、創業100周年を迎えたSUBARU。社名を「富士重工業」から海外でも認知度の高いブランド名の「SUBARU」に変えた。会社の一段の飛躍を誓った矢先に不正でつまずく。くしくもスバルの祖業は、品質の絶対的な保証が求められる飛行機製造だ。名門スバルが抱えていた「負の遺産」とはいったい何か。
技術力強みに急成長を遂げる
「スバルの自動車の魅力は、技術力にある」。そう話すスバルのファン、「スバリスト」は少なくない。1958年発売の「スバル360」は軽自動車で初めて4人乗りを実現した。自動車メーカーとしての地位を引き上げ、開発を率いた百瀬晋六は名技術者として社内で語り継がれる。その後も、水平対向エンジン、四輪駆動車(4WD)など走りの良さに定評のあるクルマを作り続けてきた。近年は安全運転支援システム「アイサイト」などもヒット。米国ではシェアが4%に迫るなど、世界レベルでの急成長を遂げた。
製造現場と他部門には大きな溝
しかし、その成長の裏側で、潜在的な問題が見過ごされてきたのも事実。完成検査における一連の不正ではそれが白日の下にさらされた。製造の現場とそれ以外の営業・開発部門や本社機能との間にある、塞ぎがたい大きな溝だ。
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