60年通知表がない公立小の凄い「探究型総合学習」 伊那小「時間割もチャイムもない」深い理由

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

もちろん、子どもたちの思いや願いをそのまま許容するのではなく、担任は興味の対象に追究する価値があるかを吟味する。その学習材が学級の中核に据えられたときに学びが深まるかどうか、本当に生き生きと全身で学んでいけるかなどを見極め、「この活動のときには数の学習ができそうだ」などと教科学習の見通しもつけながら、年間活動計画を作り上げていく。

「期待したような学びが得られなかったり、子どもたちが途中で興味を失ったりすることも当然あります。そのときは再検討して、年間活動計画を書き換えます。例えば、計画していた学習ができなかった場合は、別のタイミングに組み込むようにする。逆に『子どもたちは2年生だけど、学習指導要領で3年生に教える内容を学んでもらう好機』と判断すれば、そこで学んでしまうという柔軟性を持って対応していきます」

「初めに子どもありき」の教育に、一律の基準に沿った数字評価はなじまない。そのため、通知表は60年以上も前の1956年に廃止されている。チャイムや時間割もない。「1コマ単位、教科単位で学びを区切ってしまうと、興味を持って没頭している子どもたちの活動を阻害したり、回り道したからこそ実感できる大事なことに至れなくなったりするおそれがあるからです」と、福田氏は説明し、こう続ける。

「通知表はありませんが、保護者には1学期末と2学期末の面談で、子どもたちが授業の振り返りを書いた学習カードや作品などをお見せしながら、どういう過程で学びを深めていったのかについて丁寧にお話ししています。また、実際に成長を見ていただく機会として、3学期末には子どもたちによる学習発表会を実施しています」

しかし、総合学習に重点を置くことで、学力に遅れは生じないのだろうか。福田氏は、こう答える。

「扱いきれない単元などについては、『取り出し学習』という機会を設けて補い、学力の定着についても教員の手作りプリントや業者テストを活用して確認しています。卒業後に進学する中学校からも、『総じて自らの力で調べ学習をしたり発信したりする力が身に付いている』と言っていただけている。卒業生のアンケートでも『1つのことを追究できたことが今の自分の支えになっている』といった声は多く、本校の教育はまさに生きる力を育んでいると捉えています」

受け継がれる「信州教育」の精神

このような教育活動の背景には「長野県の教育観、いわゆる信州教育があります」と福田氏は話す。

福田弘彦(ふくた・ひろひこ)
長野県伊那市立伊那小学校校長。1985年度より長野県内にて小学校教諭として勤務。伊那小学校に教諭として8年間、教頭として3年間勤務し、2020年度より現職

大正期に新教育運動が全国的に展開される中、長野県はとくに運動が活発に繰り広げられ、子どもを中心に捉える独自の教育観が醸成されていった。同校の教育実践の土台に据えられた「子どもは自ら求め、自ら決め出し、自ら動き出す力を持っている」という「子ども観」も、1918年4月から長野師範学校で研究学級を実践した淀川茂重氏の理念を受け継いだものだという。

「100年以上も前に『主体的・対話的で深い学び』を実践された淀川先生の教育観を受け継いできたからこそ、本校の今があります。教育とは教師が中心となって、教科書の内容を子どもたちに教え込むものではありません。子どもには本来『内から育つ力』があり、あくまでも教師はそれに寄り添って支え、きっかけをつくってあげるだけの存在。この考えが根底にあったことが、1978年度からの総合学習実践につながったのだと思います」

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事