老いを「楽しめる賢人」「楽しめない凡人」の差 加齢は果たして「マイナスなこと」なのか?
いくら自分の経験が評価されるべきものであると言われても、周囲から本当に認めてもらい、評価してもらえるかという点については、現実的には疑わしいと思う方も多いことでしょう。
すると結局は、「老い」をマイナスなものとして感じざるをえなくなってしまうのです。
では、どうするかというと、一度「老い」は「老い」であって、マイナスでもプラスでもなく、ただ自分の身に起きている現象だと受け止めるのです。
ここで重要になってくるのが、「円熟」ではなく「縁熟」という表現と考え方になります。
大事なのは「今を楽しむ姿勢」
「縁熟」という言葉はまったくの造語ですが、「縁が熟する」と読みときます。
「縁」とは、今の自分の状態を作りだしてきたこれまで思慮することのできない無量(はかりしれない)の諸条件を意味します。
これは仏教の「すべてのものは繋がっている」という「因縁生起」(縁起)の教えに由来します。
そして、その「縁」が「熟す」というのは、渋かったり、酸っぱかった果物が熟して美味しくなるように、時間が経過したからこそ発揮されることがあるという意味です。
このたとえを自分と照らし合わせ、「老い」によって得られたものがないかを思い起こしてみてください。
換言すれば、老いた自分だから持つ「説得力」というものです。なかなか思いつかないという場合は、「老い」によって周囲から許されるようになった言動はないか考えてみてください。
おそらく、服装、優遇、自由時間など、日常生活の中に多々あると思いますが、中でも最も際立つのが「発言」だと思います。
私は以前、80歳を超える恩師から、「紅葉で色づいた一本の木から十分に秋は感じられる」という言葉をもらったことがあります。
秋になると、紅葉を求めて全国各地へ出かける方も多いと思います。それはそれで楽しみもあってよいのですが、本当に大事なものは、遠くにいかなくても、心を落ち着かせてみれば、すぐそばにあるという「恩師の人生」が滲み出たメッセージが含まれていました。
当時まだ20代だった私はその言葉の深さと柔らかさに感動し、自分もその表現を真似してみようと友人に対して恩師と同じ言葉を使ってみたところ、私と言葉と不釣り合いだと笑われました。当時の私には、その言葉に説得力を持たせることはできなかったのです。
このように、今だから語れることや、行動があるのだと思います。それを堪能するように心がけてみてはいかがでしょうか。
そうすることで、「老い」をこれまでとは違った捉え方ができるようになると思います。そして、気が付いたら「老い」はマイナスではなく、プラスに転換されることもあるかもしれません。
仏教では、「物事の見方が変われば世界が変わる」という考え方があります。これは「正見」という教えに由来します。要するに、「自分の偏見や先入観に捉われることがないように物事を受け止めていくことが大事」ということです。
「老い」に対しても、これまでの先入観や偏見に捉われないように、「縁熟」を意識し、老いた状況下での「今の自分」を楽しむようにしてみてください。老いたからこそなお、今は今で、楽しむ方法はたくさんあると思います。
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