元教員、社会人と学ぶ「先生の学校」を始めた訳 転職で見えてきた「社会と教育現場」の乖離
しかし、最初から起業を選択したわけではない。当時勤めていた会社が副業を許可していたことから、会社員の傍ら「先生の学校」をスタートさせた。
「リスクヘッジの観点からは環境として恵まれていましたが、第1回目のイベントは失敗でしたね。『先生の学校』がまだ無名にもかかわらず、500人収容できる会場を選んだため、ガランとした中で開催してしまった。コンテンツの内容も自分のエゴを押し付けていたなと反省しました。その後は、身の丈に合った本当に価値あるものを提供しようとマインドを切り替えて、30人規模のイベントを毎月行うようになりました」
そんな三原氏が手応えを感じたのはスタートして1年ほど経った頃。あるイベントの中で、数学の教員が「僕が教えていることは社会では全然役に立ちませんよ」と自虐的なコメントをしたところ、大手企業でマーケティングを担当する女性が「そんなことはありません。私は高校の数学が、今マーケティングにすごく役立っていますよ」と返したという。

「その言葉を聞いた途端、数学の先生の表情がみるみる変わったのです。自分が教えたことが社会で生きているという気づきがあったのでしょう。女性のほうにも何らかの発見があったのではないかと思います。先生を社会につないでいくことに価値を感じた出来事でした」
教員と会社員を経て「社会起業家」に
活動を続けること約3年半。18年の年末に、たまたまTwitterで「ボーダレス・ジャパン」代表の田口一成氏のインタビュー記事を見つけた。同社は、「自社で育てた社会起業家が手がけるソーシャルビジネスを通じて社会課題の解決に取り組む」という独自の仕組みで近年業績を伸ばし、注目を集めている企業だった。
格差を生む資本主義に以前から疑問を感じていた三原氏は、同社の取り組みに共感する部分が多かったという。そして、そこには社会起業家を育成するアカデミーがあることを知り、参加した。
その研修を通じて「志の高い仲間と切磋琢磨できる環境にひかれた」という三原氏。20年1月、ついに会社員を辞め、同社の社会起業家の1人として参画し、出資を受ける形で20年3月に「先生の学校」を株式会社化した。
まずは「3万人以上」の教員の意識を変える
「社会ではいまだにいい高校、いい大学に入ることが『目指すべき幸せの形』というステレオタイプが根強く、『学力』という物差しだけで子どもたちの価値を決めてしまうような偏差値偏重の仕組みから脱却できていないことが大きな問題だと考えています。
レールを一度外れると、自分の行きたい方向に行けなくなってしまう。そんな社会を変えていきたい。2020年度から新学習指導要領がスタートして教育改革が進められていますが、学校だけでなく企業側も学歴で区別する考え方から変わるべきです。
そのためにも教育界を変革しようとするプレーヤーがもっと増えてほしい。20世紀に起きた多くの市民活動を調査したところ、変化や革命は賛同する人がその集団の3.5%に達したときに生まれるケースが多いといわれています。小中高の先生は今国内に約100万人いますが、そのうち3万人以上の意識を変えていくことが、私の1つの仕事だと考えています」
公立校における、横並びの組織文化にも警鐘を鳴らす。例えばコロナ禍で公平性を理由にオンライン授業を実施しなかった学校が多かったが、このことについて「対応を一律にするのではなく、端末を用意できる子どもにはICTを活用し、用意できない子どもにはプリントを配付して電話で対応するという選択肢もあったと思います」と三原氏は話す。