戦前昭和の軍部台頭を招いた「健全財政」の呪縛 高橋財政批判「3つの誤解」で学ぶ歴史の教訓
ならば、軍部の台頭をもたらした原因は何か。結論を急げば、その原因こそ、健全財政にほかならなかった。
恐慌による中間層没落とファシズム
1929年に成立した浜口雄幸内閣は、井上準之助を蔵相に任命し、金解禁(金本位制への復帰)を成し遂げるため、緊縮財政を断行した。そして、世界恐慌が始まっていたにもかかわらず、1930年1月、金解禁を実行した。
その結果、日本経済は恐慌となり、倒産や失業が増大し、とくに農民と中小企業者は深刻な打撃を受けた。それにもかかわらず、井上は金本位制という財政規律を維持し、かたくなに健全財政路線を守り続けた。
こうして困窮し、没落した中間層は過激な労働運動や右翼的な運動へと走った。こうして軍部が台頭し、わが国は軍国主義化していったのである。
このように、恐慌(デフレ不況)によって中間層が没落し、ファシズムが生まれるという現象は、同時代のドイツなどでも見られた現象である。
実は、高橋はデフレが失業を増やし社会問題を引き起こすことを、1918年の段階ですでに理解していた。
また、社会問題が発生すれば、人心が乱れ、過激な思想が台頭することも高橋はわかっていた。次の引用は、関東大震災の翌年の彼の言葉である。
しかし、井上準之助による健全財政が招き寄せた軍国主義は、もはや高橋の手に負えるものではなかった。その軍国主義の凶弾によって、高橋は倒れたのである。
国民の失業や困窮を放置すれば、人心が乱れ、思想が過激化し、ファシズムを生み出しかねない。これこそが、本当の「歴史の教訓」である。
現在、世界恐慌以来、最悪と言われるコロナ危機にあって、倒産、失業、貧困が急増し、国民の生活に対する不安が高まっている。それにもかかわらず、政府は、財政健全化の呪縛にいまだにとらわれ、十分かつ迅速な経済対策を打ち出せていない。
これが何をもたらすのか。為政者は「歴史の教訓」に学ぶべきであろう。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら