国鉄技師長・島秀雄氏が語る「昭和の鉄道車両」 月刊「鉄道ファン」創刊号掲載の貴重な対談
Y「でも96は、大正時代を風びした量産機で、それだけに使いやすかったのでしょうし、ファンの間では、評判の高いロコだったと思うんです」
S「私も96はいい恰好をしていると思います。人によってはセムシみたいで嫌いだという人もいますが、とにかく使いうるあらゆるスペースを利用して目的を追究していったことがわかりますね」
S「僕の父は非常な広軌論者でした。それというのも狭軌でやれるところまでやってしまって、それ以上どうにもならなかったからでしょう。限界主義ですね。又、蒸気の出しうる力の限界を知っていたから、熱心な電化論者でした。僕も、そういう点では、父と共通で最初から限界主義です。日本の鉄道における限界出力機関車はどんなものであるかと考えながら仕事をしていったつもりです。然し、時には中途半端なものを造らざるを得なかったこともあるんです」
限界主義の追求
Y「設計技師をおやりになってから、それが現われたのは、C53とかC54ですか」
S「C54やC55なんていうのは、中途半端な機関車の例でしょうね」
Y「C54やC55はC51の増備のような考え方でしたですね」
S「そうです。C54なんかその頃鋳鋼の部品をとり入れたり部品の統一化をはかったりしたのですが、一方台ワクはプレートフレームにしてみたりしましてね。プレートフレームは、満足なものではありませんでした。C11やC12みたいなものになりますと、これはこれで丙線規格とか、余り偉くない線路に対して限界機関車なのです」
Y「C11とC10の大きなちがいは?」
S「殆んどちがわないですね」
Y「C10やC11の重見式給水加熱器は大きな外見上の特長になっていましたが」
S「あんなものは、つけたってあまり役に立たないですよ。値段の割にはね。でも、その頃は色々な案があって、本省丸形の加熱器に決定するまでの過程にあったのですね」
Y「そういえば、国鉄の車両はこれまで、島さんのおっしゃる限界主義が、たえず追い求められてきた格好ですね。C62からEH10、更に電車でなくては高速はだせないとあって、こだまに至ったというわけですね」
S「まあ、そういったところです。その上をゆくとなると、新幹線の超特急電車となります」
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