米国「市場原理主義」の真実、ルールと規律の放棄で格差と危機が大増幅
だが、AIGの失敗はCDSだけではない。本業の保険部門で保有していた有価証券を貸し出してカネを借り、それを別の証券化商品に投資していたのだ。証券化商品の価格は暴落し、ここでも巨額ロスが発生。
貸し出した有価証券も戻ってきたときは、元の価格ではない。6月時点でAIGの有価証券貸出額751億ドルに対して、再投資に回した資金の現在価値は595億ドル(ウォールストリート・ジャーナル紙)。嵐の9月、10月を経て、このロスがどこまで膨れ上がっているか、である。
AIGは副業(CDS)でも本業でも、保険会社として最低限の規律と健全性を踏みにじっていた。いったい監督官庁は何を監督してきたのか。実は、AIGは自らの監督官庁を、自らの選択で選んでいた。
FRB(連邦準備制度理事会)でもSEC(証券取引委員会)でもない。AIGが選んだのはOTS(Office of Thrift Supervision)だった。1000人以上の職員を抱えるものの、監督対象は元来、貯蓄貸付組合、日本で言えば信組クラスを監視する機関だ。素人目にも、総資産1兆ドル、政治力抜群のAIGを監督できる能力があるとは思えない。
10月、FRBのグリーンスパン前議長が議会で証言した。「株主利益を守らねばならない金融機関が変なことをするはずがない、と考えていた。私としては信じられない思い。ショックを受けている」
ファンドにも公的資金?
市場原理主義とは、究極の性善説だったのだろうか。言うまでもないが、市場メカニズムは、原理=ルールの貫徹を保証するインフラの上で成立する。その意味で、米国のスタイルは、市場主義でさえなかったのだ。もう一つ、例を挙げよう。
9月14日、日曜日。翌日にリーマンを倒産させることを決めたFRBはマンハッタンのディーラーたちに電話を入れた。「特別セッションを開け。リーマンにかかわるCDSを巻き戻せ」。ディーラーは昼食を放り出して電話にかじりついた。
FRBにすれば、リーマン倒産が引き起こす混乱を事前調整したいという親心だろう。が、CDSの“元締め”、ISDA(International Swaps and Derivatives Association)の東京事務所に特別セッション開催の連絡が入ったのは、真夜中の2時。日本のディーラーは手の打ちようがない。市場アクセスの平等という原理原則が、あっさり反故にされた。
自主団体のISDAを責めるのは当たらない。ニューヨーク本部でさえ職員は10人だけ。責めるべきは、圧倒的に脆弱なインフラを放置し、CDSの大膨張を放置し続けてきた監督当局の無責任と不作為である。
ところが、その大甘の監督さえ嫌い、AIG同様、非規制銀行として最大限の自由を謳歌してきた投資銀行が、リーマン倒産を機に、一斉に規制銀行に転換した。FRBの懐に駆け込み、7000億ドルの公的資金にありつきたい一心である。これほどムシのいい話もあるまい。
と思ったら、米議会が自動車メーカー「ビッグスリー」への資金援助をめぐって大紛糾するさなか、GM系の金融会社GMACが、ひそやかに規制銀行への移行を申請した。
GMの名前を冠しているが、今、GMACの51%の株式を握るのはGMではない。「地獄の番犬」ことサーベラス。日本のあおぞら銀行、国際興業も傘下に置く投資ファンドだ。年金や大学基金も出資するが、一般にファンドへの資金提供者の中心は、超の字が付く世界の富裕層だ。規制銀行になれば、夢破れた米国民の税金がそこに流れ込む。米国民にすれば、これは悪夢の続きだろう。
2009年1月20日、就任式に臨むオバマ新大統領。真っ先に向き合う課題は、経済回復と規律確立の同時達成である。新大統領は「米国の夢」をよみがえらせることができるのだろうか。
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