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「日本語を勉強して。それが未来の言語だから」吉本ばななや三島由紀夫を訳した仏人女性。《55年前の大阪万博》の年に開けた数奇な翻訳人生

日本語翻訳家のドミニク・パルメさんと、書斎を気ままに歩き回る愛猫の水(みず)くん(筆者撮影)
仕事場の窓は南西に向いており、午後から明るい日差しが入る。家で仕事をする翻訳家にとって癒やしになるそう(筆者撮影)
 少しふっくらしている愛猫「水くん」は、色合いのせいか、まるで炊き立てのご飯で作った大きなおにぎりのようだった(筆者撮影)
今も現役の古い辞書が、猫の毛に埋もれてソファーに無造作に置いてあった(筆者撮影)
本を探すドミニクさん(筆者撮影)
1931年に出版された『CONTES ET LÉGENDES DU JAPON(日本の民話と伝説)』は今も大切に本棚にある。この本は、古事記のイザナキとイザナミの日本創成の神話から始まる(著者撮影)
現在、パリのセーヌ川沿いにあるケ・ブランリ美術館では日本の万博開催にちなんで、1970年の大阪万博で太陽の塔を作った岡本太郎の展示をしている。10年ほどパリに住んでいた岡本太郎がフランス語でインタビューを受けているビデオも見ることができ、大変興味深い(筆者撮影)
中村真一郎の『夏』は、青山学院大学の先生に添削をしてもらった。隅から隅まで小さな字で、日本の文化背景や言い回しなど、細かく注釈を入れてくれたそう。その後、1995年に小西国際交流財団の日仏文学翻訳賞を受賞(筆者撮影)
中村真一郎の『夏』のフランス語版は、この厚みだ(筆者撮影)
フランス語版『キッチン』はサトウキョウコさんとの共訳だ。キョウコさんは翻訳のプロではなかったが、感性が鋭く、ドミニクさんと翻訳に対するアプローチが似ていた。日本語のニュアンスを保っているか、また、日本の文化的背景などを一緒に確認しながら翻訳したそう(筆者撮影)
現在翻訳中の本には付箋がたくさん貼られ、何度も読み返したのがわかる(筆者撮影)
水くんは取材中も始終マイペースだった(著者撮影)
本や資料に囲まれて眠る水くん(筆者撮影)
ドミニクさんが大学進学した1966年当時のフランスは、女性の大学進学が少しずつ増え始めている頃だった。ドミニクさんの選択を、父親が「素晴らしい」と全面肯定してくれ、自分に自信が持てたという(筆者撮影)
1960年代半ば頃、フランスで禅を広めた弟子丸泰仙の書。「弟子丸先生の人格そのままの力強い字」とドミニクさん。ドミニクさんの父親は禅にも明るく、文学にも芸術にも宗教にも好奇心を持っていた人だった(筆者撮影)
使い込んだ辞書。一つひとつの言葉と向き合い、格闘してきたことが伺える(筆者撮影)
彼岸花。夏の名残りが残る田畑にこの鮮烈な赤色を見つけると、秋の気配を感じる。この三文字の花の名前に潜む日本人の季節感覚や情緒を掬い上げるのは、翻訳家にとって腕が鳴る仕事だろう(編集部撮影)
映画、万葉集、歌舞伎、俳句。バラエティに富んだ日本にまつわる本(筆者撮影)
ドミニクさんの仕事をジッと見守る水くん(ドミニクさん撮影)
日本文学の翻訳に人生を捧げてきたフランス人女性がいる。吉本ばなな、谷川俊太郎、三島由紀夫……錚々た…