「非常に罪深い」、村上総務相が「フジテレビ問題」に対して言い放った"正論" 9000字ロングインタビュー【前編】
そして、かつての前提が崩れていることで、有権者側にもより高いリテラシーが求められることになります。何が正しいのか、偽情報なのかという判断能力をつけていただきたい。私が最初に選挙に出た(1986年)頃は、非常識なことをやれば信用を失い、落選するのは当然だと思っていましたが、最近ではそういうことをやる人が選挙に出るようになったのです。
日本に「恥の文化」がなくなってしまった
――まっとうなことを主張するより、目立つことが大事ということでしょうか。
日本は「恥の文化」の国だったのに、それがなくなってしまったのかもしれません。しかし、その人が何を主張するのかは極めてパーソナルな問題なので、これを行政や法で縛ることはできないのです。
現時点でも名誉毀損行為は刑法で罰することができます。しかし昨年の兵庫県知事選では、それでは対処できない虚偽情報の流布という問題も発生しました。ある候補者が「外国人参政権に賛成している」という“事実ではないこと”がSNSで流され、それが拡散されたといわれています。
「外国人参政権に賛成している」という内容は、誹謗中傷ではなく「名誉毀損」にもなりません。訂正しようにもそれが瞬く間に広く伝播されたため、投票日までに間に合わなかったようです。
偽情報は事実の6倍の速さで拡散されるというデータがあります。選挙は期日が決まっているため、それに間に合わなければ、虚偽に基づいて投票が行われたということになりかねません。
選挙とは「選良」を選ぶということです。候補者は良心や良識をもち、当選するために出馬するのが前提です。現行法はそもそも非常識なことや、法をわざと逸脱することを前提としていません。
だから、そうではない人が出馬した場合、対処しようがありません。最終的に票を入れるのは有権者で、個人の政治活動の自由や投票の自由は最大限に尊重されなければなりませんから。
放送法や公職選挙法は1950年に作られました。当時は戦後の自由を求める風潮に満ちており、国家権力はなるべく干渉してはならないという前提があったのです。
そういう背景で作られた法の下で、テレビが本来の報道機関のあり方を見失う事例が出てきてしまいました。テレビは社会的役割を放棄してしまったのかともいわれかねません。
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