実はイギリスにはない?日本の線路幅「狭軌」の謎 世界各国の「軌間」が映し出す国際情勢と歴史

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イギリスは当時世界各地にあった植民地で、鉄道敷設にかかる面積がより小さく、少ない予算で広範囲に鉄道網が拡大できる「狭軌」を採用していた。そうした経緯の下、イギリスは日本への鉄道技術導入の際、それを応用した。

日本で「狭軌」と呼んでいる1067mm軌間は、海外、とくに英語圏では、日本の鉄道よりも開業は遅かったものの、南アフリカのケープ州で採用された軌間であることから、「ケープゲージ」とも呼ばれている。ケープゲージは、イギリスの植民地支配の影響下にあった国々、例えばオーストラリア(主にクイーンズランド州)やニュージーランドでも用いられている。

イギリス本国でも導入例はあったものの、これら各国のように都市間を結ぶ鉄道ではなく、路面電車やケーブルカーなどだった。

ちなみに「本線級の路線で世界最古の1067mm軌間」を名乗るのは、1865年7月開通のオーストラリア・クイーンズランド州に敷設された鉄道だ。ただ、1862年6月にノルウェーの首都オスロ郊外に1067mm軌間の鉄道が敷設された記録もある。いずれにせよ、日本の鉄道開業前後の時期にはイギリス本国以外、植民地などで採用が広がっていた軌間といえるだろう。

南アフリカ 鉄道
南アフリカの鉄道は日本と同じ1067mm軌間だ(写真:Bloomberg)
ニュージーランド ウェリントン Tranzmetro
ニュージーランド・ウェリントンの近郊電車。日本と同じ1067mm軌間で、架線電圧も日本で一般的な直流1500Vと類似点が多い=2003年(写真:Bloomberg)

黎明期の試行錯誤が生んだ「超広軌」

一方、イギリス本国では後に「国際標準軌」となる1435mm軌間を採用したが、当時のイギリスはまさに産業革命のさなかで、黎明期にはさまざまな軌間の鉄道が存在した。

その代表格が、1830年代から1840年代にかけて、著名な鉄道・建築技術者イザムバード・キングダム・ブルネルがグレート・ウェスタン鉄道(Great Western Railway=GWR)の建設に採用した2140mmという軌間だ。実に、日本の狭軌の倍もある。

この「超広軌」といえる線路幅は、列車の安定性が増して乗り心地が向上することや、より強力な機関車によって高速での運行が可能になるとして考えられた。この広軌鉄道のために造られた蒸気機関車の動輪直径は、最大で約8フィート(約2440mm)もあったという。

GWR 広軌
グレート・ウェスタン鉄道の「超広軌」2140mm軌間の線路と機関車(写真:Public Domain)

だが、レール間隔が広いため、軌道や橋梁、トンネルなどのインフラ設備を通常より大きく頑丈に造らなければならず、その結果、敷設にかかる建設コストが標準軌に比べて割高だった。乗り入れなど効率的な運行と安全性から標準軌が普及する中、超広軌の路線運営は長続きせず、1893年までに汎用性の高い標準軌鉄道に付け替えられた。

欧州大陸の主要国はイギリスでの成功にならって標準軌を採用し、現在もそれを引き継いでいる。アメリカも同様の軌間を採用した。こうして「国際標準」化したわけだ。

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