株大暴落は「植田ショック」と歴史に刻まれるのか 窮地救った内田副総裁の講演に「市場隷属」の危険

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もっとも、このまま暴落の戦犯として歴史に「悪名」を刻むかどうかは、タカ派姿勢に転じた政策運営が正しいかどうかに帰着する。つまり、「インフレファイター」として物価目標を達成し、経済の安定成長を確保できるかどうかが問われるわけだ。

ここで植田総裁がタカ派に転じた理由を推測してみたい。カギを握るのはやはり「円安」だったとみられる。

「金融政策で円安再燃」は避けたかった

円相場は7月上旬に162円近くまで売り込まれた。日米金利差の拡大観測が根強く、6月に一方的に円安が進んだ流れが継続した。政府(財務省)はこの流れを断ち切るべく、7月11日に円買い・ドル売り介入に踏み切った。

この介入は、アメリカの物価指標が弱く、市場でドルが売られる過程で実行されたのが特徴だ。

これまでは円安が加速した際、その勢いを弱める「スムージング介入」という手法だった。ところが、7月の介入はドル売り・円買いを加速させる「(円の)押し上げ介入」の色彩が強かった。恐らく「160円」を円安防衛ラインとみなし、「少しでも円高にもっていく」(別の大手邦銀)ことにしたとみられる。

企業・家計の円安への悲鳴を受け、政府が円安阻止の姿勢を強めたなら、日銀も歩調を合わせるしかない。日銀として絶対に避けるべきは、金融政策要因で円安が再燃することだ。

ここで思い起こすべきは、植田総裁には円安を加速させた“前科”があることだ。

4月末の会見で、「円安容認」と受け止められる発言を行い、一気に円安が進行。政府が大規模介入で食い止めることを余儀なくされた件だ。この後、植田総裁は首相官邸に呼ばれ、岸田文雄首相と会談。円安に十分注視することを確認した。

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