「ありのままの姿を見せる展示」子どもたちにも響く

2024年8月6日、1945年の原爆投下から79年を迎える広島県広島市。2019年には平和記念資料館本館がリニューアルオープンされ、現在も悲劇の記憶を伝え続けている。同館で学芸係長を務める落葉裕信氏は語る。

「展示を刷新したのは、被害のありのままの姿を見せたいと考えたからです。とくに本館では過度な演出を極力なくして、あの日広島にいた一人ひとりの名前や顔がわかる形にしました」

蝋人形の撤去が話題になったことを覚えている人もいるだろう。センセーショナルなものや数字による被害概要の展示は、わかりやすいインパクトがあるものの、そこに実際にいた人の姿を曖昧にさせがちだった。そこで代わりに増やしたのが、遺品や手紙などの実物の展示だ。個人の名前や年齢などの情報も示されるようになり、その人たちが直前までどんな日常を送っていたか、生き延びた後にどんな思いをしたかがより詳しく伝わるようになった。落葉氏も、リニューアルによる手応えを感じている。

「現在の展示の方針は資料館だけで決めたことでなく、入館者や地域の方々の『実物が見たい』という求めがあってのことでもあります。リニューアル後の展示は説明文の情報もあり、見る側の想像力も必要なものもあります。しかしその分じっくりと、我がこととして見てもらえている印象を受けています」

入館者からは「一人ひとりの顔に対面すると涙がこぼれる」「遠い過去の話ではなく、今の自分たちと同じような生活が断ち切られたと強く感じる」などといった感想が寄せられるようになった。

同館では、開館当初から修学旅行生を多く受け入れている。コロナ禍の影響など増減はあるものの、総入館者数の3割程度を、修学旅行でやってくる子どもたちが占めている。

過去には小学生が最も多く訪れていたこともあったが、近年は高校時点での来訪も増えている。展示内容は非常に重いものだが、同館に見学の年齢制限はない。引率者への注意喚起は行っているが、子ども向けの展示を別に設けてはいない。落葉氏は言う。

「歴史的背景まで理解して見るとなると、中学生以上になってから来てもらうのがいいのかもしれません。小学校低学年や中学年の子どもたちには少し難しい部分もあると思いますが、それでも年齢ごとに感じられることがあると思います。とくにリニューアル後は顔写真や遺品、名前の横の年齢を見ることで、『自分たちと同じ年頃の子どもがたくさん亡くなっているんだ』という実感につながっているようです」

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展示室入り口にある注意喚起のパネル(左)。被爆した学生の遺品(瀬川真澄寄贈)。自分たちも同じクラスなのか、「1年3組だって」と囁き合う子どもたちがいた(右)

子どもの年齢が低いほど、限られた見学時間を有効活用するためには、教員や大人による見学のガイドラインがあったほうがいいだろう。事前学習でポイントとして挙げられやすいため、3歳の男の子が乗っていた三輪車や、中身が黒く炭化したお弁当箱の展示などは、つねに子どもたちに取り囲まれている。

外国人観光客激増による「副産物」、語学の拠点としても

落葉氏は、「修学旅行者の動向は、リニューアル前後で大きく変化していません。昨年は、リニューアル前と比べて修学旅行者の数は増えましたが、毎年平均的に来館があります。横ばいといったところでしょうか」と説明する。これは平和学習における同館の価値が変わっていないことと同時に、見学が前年踏襲のルーティンになりやすいことを示しているかもしれない。大人数でのスケジュール設定の難しさに理解を示しつつ、落葉氏は「理想を言えば」と前置きしてこう続ける。

「資料館周辺にも小学校の平和資料館があったり、街中にもさまざまな慰霊碑があったりと、広島市は街一帯に原爆被害を伝える史跡や慰霊碑などがあります。少しでも市内を歩いてもらえたら、『こんなところにも』という発見がたくさんあると思います」

あまり動きのない修学旅行生に対し、近年激増したのが外国人観光客の来館者だ。平和記念公園でセルフィーを撮ったり、館内の展示に涙を拭ったりする外国人の姿は驚くほど多い。年間来訪者はコロナ禍後にV字回復を見せ、2023年には総入館者のうち外国人が占める割合が3割を超えた。

落葉氏も、海外からの来訪者がここまで増えるとは予想していなかった。

「オーバーツーリズムは全国的な問題だと思いますが、現在の館内の混雑は私たちも課題に感じています。とはいえ、建物自体が文化財なので展示面積を簡単に増やすということもできません。結果として修学旅行生含め、来館者がじっくりと見学するのが難しい事態にもなっています。多くの学校が在館時間を60〜90分に設定していますが、春先の旅行のピーク時などは、十分に時間をかけて見学できないことがあります」

混雑は悩ましいことだが、この外国人観光客の激増による「思わぬ副産物」もある。今、平和記念公園周辺を歩くと、外国人と会話する児童や生徒が非常に多く見られる。独学の英語で観光ボランティアガイドをする小学生がメディアに取り上げられ、話題になったこともある。大勢の外国人が集まる場所として、外国語や異文化交流を学ぶ拠点にもなっているのだ。

「勤務している私たちも驚くほど、ここには本当にいろいろな国の人が来ています。資料館見学と公園の碑めぐりをセットにする修学旅行の例は以前からありましたが、平和記念公園を訪れた海外の方に英語でインタビューする修学旅行生の姿も目にします」

「恐ろしく悲惨な過去を、ともに学んだことを忘れない」

例えば、東京都の小平市にある白梅学園清修中高一貫部では、中学2年次に広島と京都での語学研修を行っている。5年前に行き先を変更するまでは、イギリスのロンドンまで出かけていたそうだ。副校長の鈴木邦夫氏は、その経緯を次のように語る。

「ロンドンでは2005年に大規模なテロがありましたが、その後も度重なる被害があり、学内外から安全性を懸念する声が上がるようになりました。また、イギリスまでは距離があるので渡航費用がかさみますし、時差も大きいため、学びに使える時間が限られてしまう。改善を考えていた折、国内にも非常に多くの外国人が集まる場所が増えてきました。こうした地域でなら、時代に即した新たな語学研修が可能なのではないかということになったのです」

生徒たちは、広島大学などに留学している外国人学生と交流しながら、外国人観光客が集まる平和記念公園や資料館を巡る。これは語学と歴史の双方を強く意識する機会になるだろう。ある生徒は、行動を共にしたバングラデシュ人の留学生から、別れ際にこんな手紙をもらったそうだ。

「恐ろしく悲惨な過去をともに学んだことを、この先もずっと決して忘れない」

この経験から、その生徒は国際関係を学べる大学に行きたいと進路を絞り始めた。鈴木氏は「唯一の被爆国として、日本が今後、世界にどう発信していくべきかを考えるようになったようです。ただ英語を習うだけでなく『語学を通じて何を知ったか』ということが、生徒たちの学びを非常に深いものにしていると感じています」と語る。

白梅学園清修中の広島での語学研修。事後学習ではポスターセッションを行う
(写真:白梅学園清修中高一貫部提供)

終戦から時間が経った今でも、平和記念資料館には熱心な若者が集まる。落葉氏は、探究学習や卒業論文などに取り組む国内の学生の相談に乗ることも多いそうだ。

「原爆投下から80年近くが経ち、自身の被爆体験を語れる人は少なくなっています。世間の関心が薄れることを危惧する声もありますが、少なくとも私が接する若い人たちは決して無関心ではありません。むしろ私の若い頃よりも熱心で、いつも感心しています。こうした人たちの熱意に向き合い、また遺品などを提供してくれた人たちの思いに応えるためにも、今後も資料館のあり方を考え続けたいと思っています」(落葉氏)

9月10日までは、企画展「ともだちの記憶」も開催中だ。12〜15歳前後で命を落とした子どもたちの学校生活や8月6日のこと、さらに生存者が罪悪感に苛まれながら生きてきたことを、実際の遺品とともに展示している。

(文:鈴木絢子、注記のない写真:東洋経済education×ICT編集部)