「天才探していた」ギフテッドクラスの失敗を経て、教育見直した翔和学園の今 「死ね」しか言わない少年を変えた共感と経験
その反省と教訓から、翔和学園は今、改めて「共感」や「経験の共有」を教育の中核に据える。これらは従来も教育目標として掲げていたものの、ギフテッド・アカデミッククラスの立ち上げ時に除外してしまったものだ。現在はこのクラス自体を解体し、ほかの部門との統合を図っている。
中村氏が「ぜひ彼のことを知ってほしい」と言う生徒がいる。小学5年生から翔和学園に通う高校生、Aくんのことだ。入所当時、知能指数測定や発達障害の診断に用いられるWISC検査で、彼は150を超える非常に高い「言語理解」指標を叩き出していた。幼少期を海外で過ごしたことから英語にも堪能で、これだけを見ればとても「優秀」な子どもに思える。
だが一方で「処理速度」は90以下と低く、言語理解力との差は70に迫っていた。Aくんを受け持つ教員の水川勝利氏は、次のように説明する。
「一般的に、いずれかの指数の差が15を超えると生きづらさを感じると言われていますから、Aくんの感じる困難さは相当だと思います。彼は物の仕組みや作り方を理解することには長けているのですが、その期待値に対し、実際に手を動かしての作業では精度が低い。これは処理速度との能力の凸凹によるものです。こうした子どもは『アンダーアチーバー』とも呼ばれ、口ばかりだと思われてしまったりやる気がないように見えたりする。Aくんもそうした周囲の評価にさらされ、人は自分の味方である、と感じられる機会が少なかったのではないかと想像しています」
通常の小学校でどんな指導を受けたのか、どんな友人関係があったのかは定かではないが、Aくんは当初、何を言っても「死ね」と答える子どもだった。そこでまず、当時の担当職員は「Aくんの好きなことならなんでもいいからやってみよう」と語りかけた。iPadを見つめるばかりで無反応の彼に対し、3時間かけて向き合ったと言う。根負けしたのか、Aくんは「別にやりたいことはない」と言った。
彼は何に対しても消極的で「めんどくさい」「それって意味あるの」という発言も多かった。だがこれも彼の経験が言わせたことだったかもしれない。中村氏は「理解を得られずつらい思いをしてきた子どもは、自分のやりたいことすらやり切れないようになってしまう恐れがある」と言う。結局、担当職員が「力を貸してほしい」とお願いする形で、Aくんは学園の文化祭でプログラミングを担当することになった。

知識欲や好奇心を刺激して、凸凹の凸の力を伸ばす
これをきっかけに、Aくんはものづくりに関心を持って取り組むようになった。もちろん一筋縄ではいかなかったが、文字数の都合で割愛する。ともかくAくんはYouTubeの動画を見たり英語の文献を読んだりして、「イオンエンジン」など、難度の高い実験器具も積極的に作るようになった。
だがやはり制作物としてのクオリティーを上げることが難しく、自己評価も「そこそこの完成度」という表現にとどまった。「失敗したくない」「本気じゃない」といったAくんの言葉も、水川氏には歯痒く感じられた。