多彩な発表はコーヒーの淹れ方から「コラッツ予想」まで
2024年3月、東京都港区の会場で、特別支援教育に注力するNPO法人翔和学園の卒業・修了イベントが開催された。ホールには生徒の絵や工作も展示され、作者本人による解説を聞くこともできる。観客席は詰めかけた保護者などでほぼ満席となっており、活気あふれる中、生徒たちの多彩なステージ発表が行われた。
ある生徒は、木工制作に打ち込む過程を動画にまとめた。彼の作る大きな木製の城は会場にも展示された。プログラミングしながらロケットの制作を続ける生徒もまた、その実物をステージで披露した。ハンバーグの作り方やコーヒーの淹れ方を研究した動画もあれば、自宅から横浜への日帰り旅行を収めた動画も。アニメソングを歌って踊る生徒には、会場から手拍子が送られた。
あるいは数論の未解決問題である「コラッツ予想」に取り組んだ難解なスライドを示し、会場を完全に置き去りにする生徒もいた。内容はあまりに多岐にわたるが、それは生徒一人ひとりが、純粋に自分の好きなことをしているからにほかならない。
印象的だったのは、発表の多くが「途中経過」であったことだ。おいしいコーヒーの淹れ方はこれからも研究を深める課題であり、コラッツ予想は未解明で、城もロケットも完成していなかった。通常の学校で成績をつけようとすれば、これらはそもそも評価の対象にすらならないかもしれない。だがこの日この会場にいたすべての人は、この途中経過から、生徒たちの確実な成長を感じ取ることができただろう。
印象に残ったことはもう一つあった。それは進行中の課題に取り組む多くの生徒が、ごく自然に他者のサポートを求めたことだ。城を作る生徒も、コラッツ予想に向かう生徒も「手伝ってくれる人を募集しています」「一緒にやってくれる人がいたらぜひ」などといった言葉で発表を締めくくった。
翔和学園に通う若者は「発達障害やそれに類似する苦手さ」を持ち、複雑な人間関係の構築や社会参加へのハードルがあるケースが多い。だが卒業イベントに臨む彼らは、やりたいことをやる集中力だけでなく、周囲との関係を自分の力に変えることも身につけているようだった。
何を言っても「死ね」と答える生徒と向き合う3時間
翔和学園スタッフの中村朋彦氏は、学園の過去の方針をこう振り返る。
「高いIQと発達障害を併せ持ち、二重に例外的であるという意味の2E(twice-exceptional)とされる子どもに向けた『ギフテッド・アカデミッククラス』を立ち上げたとき、私たちは天才を探すような発想を持っていました。しかし今、それは間違っていたと断言します。IQや知識量で優秀さを決めるのではなく、すべての子どもの能力は、多様性として捉えられるべきなのです」
その反省と教訓から、翔和学園は今、改めて「共感」や「経験の共有」を教育の中核に据える。これらは従来も教育目標として掲げていたものの、ギフテッド・アカデミッククラスの立ち上げ時に除外してしまったものだ。現在はこのクラス自体を解体し、ほかの部門との統合を図っている。
中村氏が「ぜひ彼のことを知ってほしい」と言う生徒がいる。小学5年生から翔和学園に通う高校生、Aくんのことだ。入所当時、知能指数測定や発達障害の診断に用いられるWISC検査で、彼は150を超える非常に高い「言語理解」指標を叩き出していた。幼少期を海外で過ごしたことから英語にも堪能で、これだけを見ればとても「優秀」な子どもに思える。
だが一方で「処理速度」は90以下と低く、言語理解力との差は70に迫っていた。Aくんを受け持つ教員の水川勝利氏は、次のように説明する。
「一般的に、いずれかの指数の差が15を超えると生きづらさを感じると言われていますから、Aくんの感じる困難さは相当だと思います。彼は物の仕組みや作り方を理解することには長けているのですが、その期待値に対し、実際に手を動かしての作業では精度が低い。これは処理速度との能力の凸凹によるものです。こうした子どもは『アンダーアチーバー』とも呼ばれ、口ばかりだと思われてしまったりやる気がないように見えたりする。Aくんもそうした周囲の評価にさらされ、人は自分の味方である、と感じられる機会が少なかったのではないかと想像しています」
通常の小学校でどんな指導を受けたのか、どんな友人関係があったのかは定かではないが、Aくんは当初、何を言っても「死ね」と答える子どもだった。そこでまず、当時の担当職員は「Aくんの好きなことならなんでもいいからやってみよう」と語りかけた。iPadを見つめるばかりで無反応の彼に対し、3時間かけて向き合ったと言う。根負けしたのか、Aくんは「別にやりたいことはない」と言った。
彼は何に対しても消極的で「めんどくさい」「それって意味あるの」という発言も多かった。だがこれも彼の経験が言わせたことだったかもしれない。中村氏は「理解を得られずつらい思いをしてきた子どもは、自分のやりたいことすらやり切れないようになってしまう恐れがある」と言う。結局、担当職員が「力を貸してほしい」とお願いする形で、Aくんは学園の文化祭でプログラミングを担当することになった。
知識欲や好奇心を刺激して、凸凹の凸の力を伸ばす
これをきっかけに、Aくんはものづくりに関心を持って取り組むようになった。もちろん一筋縄ではいかなかったが、文字数の都合で割愛する。ともかくAくんはYouTubeの動画を見たり英語の文献を読んだりして、「イオンエンジン」など、難度の高い実験器具も積極的に作るようになった。
だがやはり制作物としてのクオリティーを上げることが難しく、自己評価も「そこそこの完成度」という表現にとどまった。「失敗したくない」「本気じゃない」といったAくんの言葉も、水川氏には歯痒く感じられた。
「私はつい、『もっと器具の精度を高めようよ』など、彼の苦手なところを頑張らせようとしていました。本来のうちの教育はそういうものではなかったはずなのに、それを忘れかけていたのです」
同氏の言う「本来のうちの教育」とは、能力の凸凹がある子どもの「凸」に注目し、その力を伸ばそうというものだ。彼らの強い好奇心や知識欲を刺激して得意なことに向かわせれば、苦手なほうの力も底上げされていく――という方針だが、水川氏はAくんの変化がうれしくて、ついそれを忘れていた。
そこで頼ったのは、Aくんが興味を持っている分野のスペシャリストだ。小惑星探査機はやぶさのイオンエンジン開発に携わった経験を持つ、元NEC・本田技術研究所の北章徳さんを招き、アドバイスをもらったり一緒に作業したりした。以降、Aくんは「もっと改良したい」「次はこうしてみたい」という前向きさを見せるようになった。
今は東京大学の学生にCADを教わりながら、「改良版イオンスラスターエンジン」の設計にいそしんでいる。水川氏は「第一線で活躍する本物の一流の方に触れたことが、彼にとっても大きな刺激になったようです。私がどれだけ言っても響かなかったのですが」と笑った。
朝のあいさつにも「死ね」と返していたAくんは、学園の生活の中で次第にフレンドリーになり、あるときは里山整備で竹林の手入れを手伝ってくれたこともあった。中村氏が「竹を切るなんて意味がないことじゃないの? なんで一緒にやってくれるの?」と聞くと、彼は少し考えて「いろんな価値観があるって知ったからかな」と答えた。さらに、学園のスタッフが忘れられないシーンを収めた動画がある。撮影する水川氏が、自分が幸運だと思うことはあるかと尋ねると、Aくんは笑顔でこう答えた。
「……自分が一番ラッキーだと思うことは、ここに来られたことです。ありがとう」
はにかむようなAくんの姿に「もう一回言って」「そんなこと言ってくれるの?」「こちらこそありがとうだよ!」など、実にうれしそうな水川氏の声が重なり、その短い動画は終わる。
翔和学園の「凸凹の凸を伸ばす」は、決して高IQの部分に注目することではない。本人がやりたいことに着目し、目指す先を一緒に見ることだ。周囲の理解を得られず閉じた世界にいた彼らが、ここでは他者と目標を共有し、同じ世界に生きることができる。その経験が、成績や点数には置き換えられない成長を生むのだろう。
(文:鈴木絢子、写真:翔和学園提供)