
Almondo代表取締役CEO
灘高等学校を卒業後、東京大学に進学。2023年2月、大学1年生でAlmondoを起業。法人向けのAIソリューション事業を展開している。現在、同大文科2類2年生
「やりたいことをやっている子でした。小学生の頃は走るのが好きで、勉強はあまり関心がなかった。難読漢字が好きで国語辞典を読んだり、達成感を得たくて計算ドリルを解いたりと、興味があることは深掘りしていましたが、偏りがあったので総合点は取れていませんでしたね。ただ、小5になるタイミングで島根県に定住するという話になり、『これを機にちゃんとしようかな』と勉強を始めたら意外とできた。周りから褒めてもらえるのもうれしくて、気づけば勉強ができる部類に入るようになり、中学受験をして島根大学教育学部附属中学に進みました」
その後、伊藤さんは、親や先生に勧められたわけでもなく、中2で名門・灘高を目指すことを決意する。理由は、「県外に出たい」と思ったからだ。
「県外に出るためには受験する必要があったので勉強したんです」と、伊藤さん。周囲に有名な進学塾がなかったため、塾に通わず参考書を中心に1人で勉強に励んだ。参考書だけでは過去問が少ないので、自ら大学入試用の参考書も活用するなど工夫し、見事合格を勝ち取ったという。当時、同級生で灘高に進学したのは、伊藤さんだけだった。
勉強は苦ではなかったようだが、自分なりの工夫で難関校の入試をパスしたその自己調整力はどのように身に付けたのかと問うと、こんな答えが返ってきた。
「自己調整力というのは、自分の報酬設計をいかに工夫するかに帰結すると思います。例えば、頑張ったらおやつがもらえるというように、こうすれば自分はリラックスできる、こういう考え方をすれば自分は頑張れるということをメタ認知して、そのうえで自分を乗りこなすようにしていけば、自然に調整できるものです」
驚くことに、伊藤さんがこうした客観的な考え方を始めたのは小学校低学年の頃からだという。いったい、両親からはどのような教育を受けたのだろうか。
「父は転勤族で政府系金融機関に勤めており、母はパートをしていましたが、いつも僕のやりたいことに反対せず、好きにやらせてくれました。受験に関しても何も言われなかった。それがよかったなと思っています」
「学びとアンラーン」の繰り返しには好奇心が必要
灘高では、課外活動でディベートを行う一方、周囲の友人から刺激を受け、アリストテレスをはじめとした哲学の古典や、マックスウェーバーや柳田國男の本を読むようになった。
「灘高は、勉強が絶対的な価値観ではなく、いかに面白く、個性を出していくかが重視される雰囲気の学校でした。お互いの個性や得意なことを認め合う環境がとてもよかったです」と、伊藤さんは振り返る。