国家非常事態委員会によるクーデター2日目となる1991年8月20日、筆者は大使館に泊まり込むことになった。
焦点は、国家非常事態委員会がホワイトハウス(ロシア大統領府・政府・最高会議建物)に突入するか否か。突入があるならば今夜中と考えられ、流血の惨事が予想された。筆者を含む日本大使館員は徹夜で情報を収集し、公電で東京に報告した。
平成3年8月21日本省着
ソ連非常事態宣言(モスクワ市内状況)
第5376号 秘 大至急
1.21日03:04、佐藤がツアレガロッツェフ・ロシア大統領補佐官席に電話照会したところ、応答したロシア最高会議書記局員(先方は官職氏名を明らかにせず)は、小康状態となっており、現時点で、直ちに襲撃が行われるとの状況ではない旨述べた。
2.21日03:07、クトゥーゾフスキー通りの住宅より、館員がロシア最高会議建物の状況を視認したところ、特に異常は見られなかった。(了)
この記事は有料会員限定です。
ログイン(会員の方はこちら)
有料会員登録
東洋経済オンライン有料会員にご登録いただくと、有料会員限定記事を含むすべての記事と、『週刊東洋経済』電子版をお読みいただけます。
- 有料会員限定記事を含むすべての記事が読める
- 『週刊東洋経済』電子版の最新号とバックナンバーが読み放題
- 有料会員限定メールマガジンをお届け
- 各種イベント・セミナーご優待
トピックボードAD
有料会員限定記事
無料会員登録はこちら
ログインはこちら