視覚障害の子の「さわる授業」、すべてに共通する「学びの本質」がここにある 筑波大学附属視覚特別支援学校の理科教育
かえつ有明中・高等学校理科教諭の深谷新氏もこう続く。
「視覚に障害がある生徒にとって、さわることは、文化。最初は恐怖や不安を感じることもあるけれども、触覚を通して物理的な性質や感覚を理解していくことでそれらを克服し、共通言語を獲得していく手段であることが認識できました。いっぽうで、見えている人にとっても触覚は重要な感覚で、見た目だけではわからない物理的な性質を触覚を通して知ることで、新たな気づきを得ることができます。単に『さわらせる』のではなく、生徒たちが自ら『さわりたい』と思うような授業デザインの大切さも学びました。ひょうをさわったり柿を食べたりする瞬間は生徒にとって最高の時間。今できることに目を向ける授業は、誰にとっても学びの多い時間になると思います」
すべての教室で取り入れる可能性を秘める「さわる授業」
人間が受け取る情報のうち、約8割は視覚からの情報だといわれている。視覚に頼るところが大きい私たちは、見ることで理解したつもりになってしまい、見ているようで実は(本質を)見られていないことも多いのではないだろうか。
武井氏の話で、こんな言葉も印象的だった。
「今、知りたいことはパソコンやスマートフォンで検索すればすぐにわかります。しかしその内容は、知らない誰かが調べてわかったこと。調べたその人の言葉としてインプットされるわけですよね。検索ももちろん大切だと思いますが、学びの本質は、自分自身の感覚を通して得たことにあると思うんです。それは世界で初めての出来事ではないかもしれないけれども、その子にとっては初めての発見であり、初めての気づきです。それらはとても楽しく嬉しいものであり、時には、魂が震えるような感動を覚えることもあるでしょう。それこそが理科の醍醐味であり、学びそのものなのではないでしょうか」
武井氏は続ける。
「当校で学び、自分の言葉で自分の意見や思いを言えるようになった生徒たちは、いずれは外の世界に飛び立ちます。そのとき、周りの人たちに、『自分は○○はできますので○○についての配慮は必要ありません。しかし、△△はできませんので×××のように支援していただけたら助かります』など、自分自身が必要な支援をしっかり説明できる人になってもらいたいと思っています」
すでに定年を迎え、延長雇用で勤務している武井氏。引退後は同校のほかの理科教員が「さわる授業」を引き継ぐべく、24年度からティームティーチングで授業を行っていく予定だという。
約50年にわたって続いてきた「さわる授業」には、「手で見る」ことによって「わかる」「できる」を味わいながら知識を深め、学びへの意欲を高めるという大きな意義がある。
学びの本質は、障害のあるなしにかかわらず、すべてに共通するものだ。それは、自らの感覚を通して対象を理解し、その知識を自分のものにすることなのではないだろうか。
「さわる授業」は、まさにこの学びの本質を体現した授業だ。「主体的・対話的で深い学び」が求められる今、同校がこれまで培って来た実践のノウハウや思想は、視覚特別支援学校のみならず、すべての教室で取り入れることができる可能性を秘めている。
(撮影:長島ともこ)
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