視覚障害の子の「さわる授業」、すべてに共通する「学びの本質」がここにある 筑波大学附属視覚特別支援学校の理科教育

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ちなみに、「動物A」はイヌ科のコヨーテだそうだが、授業では最後まで名前は明かされなかった。「動物A」が基準となり、この日を皮切りに3週間にわたってAの骨の観察が続く。全身骨格の観察は3学期に行われるが、頭の骨の観察だけで、聴覚や嗅覚がすぐれていること、肉食であること、四足歩行であることなどを皆でイメージしながら「イヌ」にたどりつく。生徒たちは、目で見えないぶん手で「見て」、それらを言葉にして武井先生と、生徒同士でじっくり時間をかけて対話を重ね、想像し、生物の特徴をとらえ、「命」を感じ取っていくのだ。

観察する人=生徒が“発見者”の立場に立てる授業を

筑波大学附属視覚特別支援学校の生物の授業で、骨をさわる授業が始まったのは、1975年。

中学校の植物や動物の学習では、多様性と共通性が学習の柱となる。その学習のためには、植物や動物を、まず目で見たり、顕微鏡を使って観察することが多く、視覚に障害のある生徒にとっては大きな壁となる。

当時、同校で生物を担当していた生物学者・青柳昌宏氏と、視覚に障害のある児童生徒向けの教育・指導法が専門の鳥山由子氏が、「視覚に障害のある生徒が動植物をじっくり観察する体験を通し、生物を学ぶ楽しさを味わってもらいたい」と、生徒たちの五感を使った画期的な自然観察の方法を考え出した。その1つが、骨をさわる授業だった。

当時、筑波大学の学生で土壌微生物の研究を行っていた武井氏は、教育実習の際に盲学校の理科の授業にふれ、「自分もこんな授業をしてみたい」と、理科教師を志すことを決めたという。その後、1990年秋に同校に赴任。初代の青柳昌宏氏、2代目の鳥山由子氏に続く3代目として、じっくり手でさわる生物の授業を引き継いだ。武井氏は言う。

武井洋子 (たけい・ようこ)
筑波大学附属視覚特別支援学校理科教諭
1962年生まれ。筑波大学大学院修了後、神奈川の県立高校教諭を経て1990年、筑波大学附属視覚特別支援学校に赴任。同校で1975年から続く中学1年の生物の授業を引き継ぎ、「さわる授業」を実践している。視覚障害のある生徒たちに科学の魅力を伝える「科学へジャンプ」にも携わり、各地で実験や観察の楽しさを紹介している。公益財団法人日本自然保護協会(NACS-J)の自然観察指導員として、身体の不自由な方、子どもからお年寄りまで誰でも参加できる自然観察会「ネイチュア・フィーリング」にも参画
(写真:武井氏提供)

「(動物の)名前を最初に聞いてしまうと、わかった気になってしまいがちですよね。名前は、究極わからなくてもいいんです。自分で調べて、自分の感覚を通して『あっ、こうなっていたんだ』と気づいたり、わかったりすることが、学びの原点。教師は、生徒に教え込まない。最初から解説をしない。観察する人=生徒が常に“発見者”の立場に立てるよう授業を進めています」

生徒たちは、自ら骨をさわって何かに気づくと、嬉しくて、心が動いて、言葉を発したくなるのだろう。

「そのタイミングで『何でもいいから気づいたことを言ってごらん』と言うと、その発見を言葉にします。それを『いいね〜大発見だね』とほめると生徒は喜び、周りの生徒も『僕も(私も)ほめられたい』って頑張って、さらに知りたいと思ってまた発見し、また言葉にする。それを繰り返すことで言葉が磨かれていくし、周りの友達の表現を聞いて、自分の表現を言い直したりできるようになっていく。教師の私の役割は、いうなれば、生徒たちの言葉の“受信アンテナ”なんです。生徒たちの言葉になるべく敏感に反応し、できるだけ多く拾ってあげたいと思っています」

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