「根本的議論」なき教育、研究者・山口裕也と哲学者・苫野一徳が共に抱く懸念 「学びの構造転換」を支援する質問紙を開発

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※ 自由に生きたいと願っている存在同士であることをお互いに認め合うこと

苫野一徳(とまの・いっとく)
一般社団法人School Transformation Networking理事
熊本大学大学院教育学研究科・教育学部准教授。哲学者、教育学者。教育とは何か、それはどうあれば「よい」と言いうるかという原理的テーマの探究を軸に、これからの教育のあり方を構想。公教育の本質は「自由の相互承認」の実質化にあるとし、具体的なあり方として「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」などを提唱。主な著書に『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)、『学問としての教育学』(日本評論社)など
(写真:苫野氏提供)

当法人も、公教育の本質に「自由」「自由の相互承認」、正当性の原理に「一般福祉」というキーワードを置いています。つまり、すべての子どもが自由に生きられる力を育むこと、すべての子どもが自由の相互承認の感度を育めること、すべての子どもの自由の実現に寄与するものであることが公教育の前提だと捉えています。実に当たり前の原理ですが、この3つのキーワードが土台として共有されているかどうかで、教育の議論や政策もまるで変わってきます。

――どのように議論や政策が変わりうるのでしょうか。

苫野 ここ10年以上、日本を立て直すには高度人材が必要だから、自分で問いを立てて考える教育が必要だという議論がなされています。しかし、高度人材の育成が土台に敷かれると、期待できない子の教育はそこそこにして、一部の優秀な子たちに集中投資をしようという話になりかねません。しかし、自由の相互承認やすべての子の自由を実現する教育が前提になっていれば、一部の子に集中投資する話にはならないわけです。

山口 国連障害者権利委員会から是正勧告があったインクルーシブ教育も、私たちが考える公教育の本質と正当性の原理に照らせば、統合教育の実現を積極的に考える議論になっていくはずです。

苫野 「異なる他者がお互いの自由を認め合う社会においては、多様な人たちがごちゃまぜになって学び合える場所が大事になる」と説得力を持って言えるようになりますからね。

山口 どのような考え方を土台に敷くかで、データの利活用も変わってきます。私が今懸念しているのが、ポリジェニックスコアという遺伝的な定量指標の扱いです。高度人材育成を根本の目的に置いてしまうと、学歴についてのポリジェニックスコアを序列化して上位層の子の早期選抜や集中投資をしようという教育制度になりかねない。実際、経済新自由主義の文脈の下、2000年台初頭から10年ほどは、小中校一貫教育についてそういった話が真剣に議論されていたので、懸念が拭えません。

一方、自由・自由の相互承認・一般福祉が共通目的になっていれば、すべての子の自由の実現を目指すので、ポリジェニックスコアは共生社会に向かうための活用になっていく。学歴だけでなくいろいろなポリジェニックスコアを並べ、それぞれの個性が補い合えるような教育を展開しようといった議論ができます。

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