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「学習の貧困」対策を「学習」に特化する不合理 費用対効果は必ずしも当てはまらない

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バングラデシュのコックスバザール 冠水した道路を歩くイスラム教徒の女学生と働く男性
(写真:kouji/PIXTA)

途上国の子どもたちが学校で十分に学べていないという懸念が一段と強まっている。パンデミックで学校閉鎖が行われる前ですら、低・中所得国では10歳児の57%が簡単な文章を読んで理解することもできない「学習の貧困」状態にあった。新型コロナ禍でそうした状況に拍車がかかったことから、主要ドナー(支援国・機関)と国際機関は基礎学力の引き上げを目的とするプログラムを立ち上げることになった。

だが、学習の妨げとなっている複雑で相互に絡み合った課題を考慮しなければ、いくら善意に基づく取り組みであっても既存の教育格差を拡大再生産する危険がある。

学習の障壁は学校の外に

世界では10億人を超す子どもが十分な食事、医療、安全、衛生状態に手の届かない多次元の貧困の中で暮らしており、学習の障壁は校門のはるか先にまで広がっている。例えば、貧困による精神的なストレスや空腹が学習の妨げとなっている子どもがいる。暴力の脅威にさらされている子どももいるだろうし、児童婚を迫られ学校に通えなくなる子どももいるはずだ。学習の貧困の直接的な原因に働きかける教育特化型の対策に頼りすぎると、こうした子どもたちの多くが置き去りになりかねない。

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