進化する錦糸町駅、都内有数の「歓楽街」の現在 「ディープな街」はいつから若者の街になった?

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大横川の流路は大半が暗渠化され、親水公園になっていた。取材日は天気があまり良くなかったこともあってか、人はまばらだ。しかし、こどもたちが楽しく遊べるような遊具類もあるようである。

園内を歩くと、総武線の電車が高架を通過していく。高架をくぐって振り返ると、電車はスカイツリーをバックに走り去っていった。パンジーなどの園芸植物も植わっていて、きれいに整備されている印象を受ける。

実際に錦糸町を歩いてみて、街全体のイメージが大きく変わりつつあることを実感した。周囲を見渡しても若者が非常に多いし、エネルギッシュな印象を受ける。しかし、なぜ錦糸町が若者向けのまちへと変貌したのかが気になり、墨田区役所に問い合わせてみたところ、以下のようなことがわかった。

錦糸町駅の北口周辺には、1968年まで国鉄の操車場があった。同年に操車場が廃止されると、1974年度に墨田区が「墨田区再開発基本構想」に跡地の再開発が必要と記載。1981年度には「墨田区長期総合計画」で錦糸町駅周辺を「墨東副都心化」することを表明し、1987年度に都市計画が決定した。バブル経済の崩壊が起こったため、本格的な着工は1990年代に入ってからとなった。1997年に北口周辺の再開発を終えている。

これら北口の再開発の完了と、2006年に精工舎(現セイコーホールディングス)工場跡地にオリナス錦糸町が開業したことなどにより、駅周辺に多くの業務床が誕生した。また、2003年に東京メトロ半蔵門線が全通したことがきっかけで人の流れが変化し、多様な人々が集まるようになった。こうした流れに沿うように、若者向けの施設が増えていったと考えられる。

「治安が悪い」印象をどう払拭するか

錦糸町駅周辺のまちづくりの課題を区の担当者に聞いてみると、「治安が悪い」というイメージをどう払拭するかという点が上がった。地域住民や商店街加盟店などが連携してパトロールを行い、治安向上に努めているという。また、「2022年3月に有楽町線豊洲―住吉間の延伸が許可された。これにより、東京スカイツリー(押上)から臨海部までのアクセスが飛躍的に向上する。錦糸町駅周辺では中高層の建物が老朽化し、今後更新が予想される。将来的にも幅広い世代を惹きつけられるよう、さまざまな都市機能が集まる東京東部の拠点としての役割を高めて、魅力と活力にあふれた都市にしたい」とも話していた。

音楽や芸術と融合したまちづくりを進める北口と、よりファッショナブルな商業施設を増やしている南口。良くも悪くも人間くさい街だった錦糸町が、少しずつ変わろうとしている。

吉谷友尋 鉄道ライター

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よしたに・ともひろ / Tomohiro Yoshitani

1991年生まれ。『JR全路線DVDコレクション』(デアゴスティーニ)や『鉄道ジャーナル』、Webなどで執筆活動を行う。著書に『ひとりでよめる!はじめてのずかん しんかんせん・でんしゃ』(講談社ビーシー、編著)がある

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