日本の学校では自主性やリーダーシップが身に付かない
本部を英国に置くプラン・インターナショナルは、差別や貧困のない社会を実現するために世界70カ所以上で活動する国際NGO法人だ。その一員である公益財団法人プラン・インターナショナル・ジャパンで、長島美紀氏はアドボカシーグループリーダーとして政策提言を行っている。とくに「女性の社会での活躍」を中心に研究・提言を続ける立場から、2021年8月に、日本の女子中学生と女子高校生を対象に、「女性のリーダーシップ」についての調査を実施した。
長島氏はその結果から、日本の学校はリーダーシップが身に付きにくい環境であることを実感したという。大きな課題の1つとして、まず自主性を育てるための正しい指導が行われていないことを挙げた。
「リーダーシップを身に付けるには、子どもの自主性が欠かせません。しかし多くの教員は教科の指導で手いっぱいです。時間にも余裕がなく、自主性を伸ばす教育が適切に行われているとは言いがたいのが現状です」
例えば何かのグループワークに取り組むとき、ただ「好きなようにやっていい」と子どもに任せきりにすることは「自主性の尊重」ではないと長島氏は語る。文化祭や運動会などのイベントも、本来は自主性を育むいい機会だが、それも具体的な目標が設定されていてこその話である。この目標設定は大人にとっても難しいもので、教育の場では教員によるサポートが不可欠だ。そうした具体性のない「好きにやっていい」だけの指導では、子どもたちの取り組みは漫然としたものになる。事後の振り返りや反省もなければ、得るものも少なくなりやすい。長島氏は「しかも、本当に好きなようにやったら怒られることもありますよね」と笑うが、この指摘にうなずく人も多いはずだ。こうした経験から子どもが身に付けるのは、教員が言外に求めているものをうかがう忖度(そんたく)のスキルだろう。
プラン・インターナショナル・ジャパンが行った調査の「リーダーになりたいか」という問いに対し、「はい」と答えた女子中高生は全体の16.6%にすぎず、「いいえ」(44.2%)と「分からない」(39.3%)と消極的な回答が8割を超える。自分について場を仕切るタイプではないと考えている女子の割合も多く、同団体の母体であるプラン・インターナショナルが世界19カ国で同世代の女の子を対象に行った調査でも、日本はリーダーを望まない人の割合が高かったという。
「声を上げることを『わがまま』だと思っている人もいる」という長島氏の言葉どおり、下のグラフからも、女の子たちが目立つことを避ける態度が察せられる。
学校や部活などで積極的に発言するかどうかを尋ねたところ「常にする」「比較的する」と答えた人を合わせた割合は全体で27%にとどまった。意見を述べることに抵抗がないのは4人に1人程度という結果だ。だがこの数字をより詳しく分析すると、単なる数値とは違うものが見えてくると長島氏は説明する。
「クラス委員長や生徒会役員などの役職経験がある人に限って見ると、『常にする』『比較的する』と答えた割合が50%を超えました。これは学校でリーダーを務めた経験が、人前で意見を述べたり発言したりすることへのハードルを下げることを示しています」
長島氏はこの「発言する」ということ、意見を述べて声を上げることこそが、リーダーシップの根源であると考えている。
「グラフからは、とくに人の目が気になる年齢の中学生の場合、女子校の生徒のほうがやや積極的に発言する傾向も見て取れます。異性のいない環境で伸び伸びやれるという面もあるでしょうし、女の子にとっては女子校のほうがリーダー経験を積みやすいという事実もあります。ただそれもさほど大きな差ではありません。リーダーシップは生まれつきの才能ではなく、経験を積み重ねることで育つものだという前向きなデータとして捉えられると思います」
「俺についてこい」という旧来型のリーダー像を脱却して
学校でリーダーシップが育ちにくいもう1つの理由として、長島氏は日本の従来の教育と、そこから育つ古いリーダー像の問題点を挙げる。
「日本の学校は長い間、いい大学に入ることを最大の目的としてきました。勉強以外のことは余分なものとしてそぎ落とされ、学力レベルが高い学校の教育ほどいびつになるというリスクもありました。その結果として、古い時代の政治家のような、『俺についてこい』というタイプのリーダーが生み出されることが多かったと思います」
多くの日本人は、リーダー像に男性的・権威的なイメージを重ねてきた。「理想の女性上司は?」といったアンケートで、「冷静で理性的な印象の女優」が上位にランクインしやすいことなどからも、リーダーに求めるイメージのステレオタイプがうかがえる。長島氏はこうした発想を「多様性の拒絶」だと指摘する。
「そもそも現在の日本は社会全体の許容度がとても低いと思います。多様性とは違いや弱さを内包するものですが、今はそれらが排除の理由にされてしまう。こうした社会は女性だけでなく、男性にとっても生きづらいものであるはずです」
他者の意見に左右されないことがリーダーシップの要件とされた時代もあったが、複雑化した現代ではそうはいかないと長島氏は話す。指導者や上長に求められる役割はグループによっても違うし、多様化が進む社会で必要なのは、独断を避けて周囲の意見を聞くことができる調整型のリーダーだ。重要なのは他者とのコミュニケーション能力で、それは旧来型のリーダーに不足していたものだともいえる。長島氏はこのリーダーに求められるコミュニケーションについても、その特性に配慮すべきだと語る。
「人と人が関われば、そこには必ず上下関係が生まれ、差別のまなざしが発生します。このリスクは性別を問わないものですが、実社会では女性への差別が多く行われてきたことも事実です。男らしさを強制する社会は男性にとっても苦しく、鬱屈を抱えた男性が自分より下の存在をつくろうと、性別を差別の理由にすることも。こうした問題を解決するためにも、多様性の視点を忘れずにコミュニケーションを取れるリーダーの育成が重要なのです」
自分をサポート役や調整役だと感じている多くの中高生も、他者と正しいコミュニケーションが取れて折衝ができているのならば、それは十分にリーダーになれる資質があるといえる。彼女らに足りないのはリーダーシップの特別な才能ではなく、発言を恐れないリーダーとしての成功体験だけだ。だからこそ、なるべく早い段階で自主性を育てる訓練をする必要があると長島氏は強調する。
新時代のリーダーが、誰もが生きやすい社会をつくる
「声を上げることは決してわがままなことではありません。嫌なことは嫌、おかしいことはおかしいと発言できるのが当たり前になってほしい。そのためには、保護者や教員などの周囲の大人が、子どもの声に耳を傾けることも大切です」
意思や意見を表明し、それが否定されなかったという経験は、再び困難にぶつかったときの子どもの態度を変えるだろう。自分の思うことを声に出していいのだという自信が、子どもたちの内なるリーダーシップへとつながっていく。
「教員が傾聴を重視し、リーダーシップ育成の意識を持って行動できるといいのですが、現在の教員数や仕事の量を考えるとなかなか難しいと思います。教科以外のことは後回しにされやすいので、取り組みも余裕がある私立校から少しずつ広げるしかないでしょう。学校が根本的に変わらないといけないと思いますが、まずは教員自身の認識を変えることも必要だと思います」
長島氏は「現在子育てをしている人や教育の現場にいる人たちは、いろいろなことを諦めてきた世代かもしれない」と話す。これは問題点の3つ目でもある。女性たち自身が古い価値観を引きずっており、不当に感じることがあっても「みんなこんなものでしょう」と妥協してしまう。声を上げられない自分を認識すらしてこなかったのではないか、と推測する。
「リーダーシップとは他者に対するものだけでなく、本来は自分自身に対するものだと考えています。女性なら結婚や出産も含めた自分のキャリアについてなど、人生を自分で決めていくために、自分のリーダーは自分が努めなければなりません」
それがかなわなかった過去の積み重ねが、働く女性の過半数が「管理職になりたくない」と答える現状や、ジェンダーギャップの120位という結果に表れているのかもしれない。この状況が次の世代に引き継がれることは、性別を問わず、日本にとって大きな損失になるだろう。だが長島氏はポジティブな変化も感じているという。
「社会や教育が変わってきたこともあり、最近の若い人たちは、声を上げることにあまり抵抗がなくなっているように見えます。若者たちは自分の怒りを表明してもいいのだと感じていて、仲間とコミュニケーションを取りながら社会を変えようとしている。リーダーシップ教育に注力することで、こうした流れをさらに広げていく必要があるでしょう」
長島氏の考える新たなリーダー像とは、誰かを引っ張る特別な能力を持つ人ではない。自分の人生を自分で決めるために声を上げる力を持ち、他者と適切なコミュニケーションを図ることができる人のことだ。教育の場で女の子の自主性を育むことは、こうした新時代のリーダーを増やし、多様性を認める許容度の高い社会をつくることにつながっていくはずだ。
(文:鈴木絢子、注記のない写真:nonpii/PIXTA)